伝説の女子プロレスラー・ジャガー横田さんのもとでプロレスデビューを果たすも、3度にわたる胸の腫瘍摘出手術により引退を余儀なくされた富松恵美さん。その後、格闘技に転向し、43歳のいまも介護士として働きながら活動を続けています。そのかたわらで支えてくれているのが、同じく格闘家で、介護士でもある夫の小林ゆたかさん。共通の趣味もあり、忙しい日々も充実しているといいます。(全2回中の2回)

プロ格闘家と介護士を両立し

── プロレスラーとしてデビューするも、胸の腫瘍ができる病気の治療のため2年間で引退。その後、格闘技に転向した富松さん。試合中に腸管破裂の大ケガを負いながら奇跡的に復活し、今も現役を続けています。並行して介護士として働いているそうですが、どのような経緯があったのですか?

 

富松恵美
19歳でプロレスラーとしてデビューしたころ

富松さん:胸の腫瘍の除去手術後はプロレスラーを辞め、親の仕事を手伝っていました。
実家はバッグやベルトに使われる皮の卸業をやっていたんです。でも売れ行きが悪くなってきて、「手伝ってくれても給料は出せない」と言われたので、先輩が店主として営んでいるつくだ煮屋でアルバイトを始めることに。その先輩がデイサービスもやっていて、「人手不足だからデイサービスでも働いてみない?」と誘われたんです。そこで、週数回から未経験で始めました。その後、実家の仕事を廃業することになったタイミングで、つくだ煮屋のバイトを辞めて、デイサービスで正社員として働き始めました。

 

最初は何も資格を持っていなくて、できることが限られていたんです。だから資格を取りたかったけれど、正社員として働きながら試合と練習に取り組むと、その勉強に割く時間がなかなか取れなくて。でも、もっとできることを増やしたかったので、すきま時間を見つけて少しずつ勉強し、数年前に介護福祉士など必要な資格を取りました。今はデイサービスの管理者を任されていて、介護の現場よりも送迎や事務的な作業が多いです。

 

── 格闘技と介護の仕事との両立はどのように工夫していますか?

 

富松さん:管理者になる前は仕事をしながら練習する時間がとれていたのですが、管理者になってからは「仕事が忙しい」と言って格闘技から逃げていた時期がありました。仕事をどんどん任されるようになって、忙しくなってしまって。もしも試合に出るのを辞めてしまえば、練習時間を別なことに有意義に使えるかもしれない…そんな思いがふと頭をよぎることも。でも、私以外にも働いている選手は多いので、負けていられないという気持ちもあります。

 

── 働き続けることのメリットはどう考えていますか?

 

富松さん:格闘技の選手は、試合でケガをしたら選手生命が絶たれることが多いから、選手としての人生よりも、その後の人生のほうが断然長いんです。でも、仕事を続けて入れば、選手を辞めた後も生きていける。そんな思いが昔からあり、働きながら試合に出るスタンスだったので、それがつらいということはなかったです。仕事もすべてこなして試合に勝つのが大事だと思っています。

 

── 練習時間を捻出するのも大変ですが、富松さんが格闘技を続けている理由はありますか?

 

富松さん:格闘技の練習をしていると、自分の子どもでもおかしくないような若い子と練習をすることがあります。格闘技をやっているからこそ、年代を越えて交流ができるんです。自分の技術が若い世代に通用するのをたしかめられるし、若い子に技術を教えることで喜んでもらえることもあります。そういう部分が理由かもしれません。あとはお酒が好きなので、運動をしないで飲んでいたら病気になりそうで(笑)。そういう意味合いもあって頑張っていますね。