小澤綾子さんは20歳のときに、筋力が低下していく進行性の難病「筋ジストロフィー」と診断されました。「治療法はなく、10年後には車いす生活」と告げられ、落ち込んでいた小澤さん。その後、2人の人物との出会いと別れが、生きる力を与えてくれました。(全3回中の2回)

リハビリ担当の先生から厳しい言葉が

小澤綾子
職場での小澤さん。7年前までは杖を使って社内を移動していた

── 小学校のときから感じてきた違和感を誰にも理解してもらえず、病名がわかるまで10年もの月日がかかったそうですね。病気がわかって最初は「ホッとした」そうですが、その後、気持ちの変化はありましたか?

 

小澤さん:病気が判明した当初は、これまでのつらさを理解してもらえたことへの安堵感を感じていました。しかし、病院の先生から「筋ジストロフィーという病気は治療法や薬がなく、10年後には車いす生活です」と言われていたこともあり、徐々に将来への不安が押し寄せて、気持ちが落ち込むように…。

 

 当時、私は大学に通っていましたが、同級生たちがみんな幸せそうに見えてきて、私だけが違う場所にいるような孤独な気分。将来のことを考えるたびに「誰かの手を借りなければいけない人生」に希望を見出せず、「私は何のために生きているんだろう」と考えては、涙を流す日々でした。

 

── そんな気持ちを立て直すきっかけはあったのでしょうか。

 

小澤さん:リハビリを担当してくれた先生との出会いが、気持ちを切り替えるきっかけのひとつになりました。 難病と告げられたときの私は大学生。周りの同級生たちは「就職」や「結婚」など、将来に希望を持って歩んでいるのに、私は「いつまで元気でいられるのか」という不安の渦中にいました。楽しいと感じられる瞬間はほとんどなくて、心が独りぼっちの状態です。

 

そのころから筋力を維持するため、定期的にリハビリに通っていたんです。「最近の様子はどう?」と先生が質問してくれても、私は「別に特に話すことないです」ってぶっきらぼうに答えてしまって。するとある日、先生が「そんなふうにずっと下を向いて生きている人には、誰も近寄ってこないよ。あなたはひとりで寂しく死ぬんだね」って言ってきて。

 

その瞬間、すごく頭に来て「この先生、大嫌い!」と思いました。でも、家に帰って落ち着いて考えてみたら、「先生が言っていたことも、一理あるかもしれないな」って思えたんです。そして、「前向きに生きて、先生を見返してやろう」という気持ちになれたんです。

 

── 先生からの厳しい言葉が、心を奮起させたんですね。

 

小澤さん:そうですね。その後は、大学やプライベートも「チャレンジしよう」という気持ちで生活できるように。毎月リハビリに行くたびに「大学の活動でリーダーを任された」「海外旅行に行ってきた」など、私の「チャレンジ」について、先生に報告するようになりました。

 

── 小澤さんの変化に、先生はどのような反応でしたか?

 

小澤さん:「ただチャレンジするだけじゃ意味がないよ、目標はあるの?」って(笑)。厳しい先生だったんです。でも、その先生のおかげで精神力が鍛えられ、いつの間にか前向きに生きられるようになったなと感じています。