小学1年生のときに両親が離婚し、必死に働く母を見ながら育ったお笑いコンビ・キングコングの梶原雄太さん。離婚は、梶原さんが両親から投げかけられた「運命のアンケート」の回答が決定打となったそうで── 。(全4回中の1回)

両親が離婚を決めた「運命のアンケート」

梶原雄太
現在は5人の子どもの父である梶原さん。次女・三女と夕食後にくつろいで

── お笑いコンビ「キングコング」としてデビューし、瞬く間にブレイク。テレビや舞台など多方面で活躍していた梶原雄太さんが、YouTubeの世界に参入したのは2018年のこと。現在は、登録者数240万人以上を誇るYouTubeチャンネルを運営するユーチューバーとしても広く知られています。

 

5人の子どもを育てる父親でもある梶原さんにとって、幼少期の家族関係は、自身の家族像のルーツとなる大切な経験になっているといいます。それが、小学校1年生のときに経験した両親の離婚── 。その出来事を当時、少年だった梶原さんはどんなふうに受け止めていたのでしょうか?

 

梶原さん:それはもう衝撃でしたよ。小学校1年生ですから、何が起きているのか理解していなかったのですが、子どもなりに「うちってあんまりいい雰囲気じゃないぞ」という感じはありましたね。

 

そんなある日、僕ら兄弟3人が順番に茶の間に呼ばれ、両親に「お父さんとお母さん、どっちのことが好きか?」と突然、聞かれたんです。よくわからないまま「お母さん!」と答えたら、父は驚いた顔で「雄太だけは、俺を選んでくれると思ったんだけどな…」と。どうやらそれが離婚するかどうかを決める、運命の「アンケート」だったらしくて。

 

── 運命の1票…。7歳の少年には、酷な選択ですね。

 

梶原さん:母は「3人とも絶対に私が育てる。それができないなら離婚はしない」と言っていたらしいんです。父は「誰かしらは絶対、俺についてくるはずやから」と考えていたみたいですが、ふたを開けたら兄弟3人とも「お母さん」と即答。そこで離婚することが決まったらしいんです。

 

その後、引っ越して環境が大きく変わりました。父のいない生活が始まって「これが離婚というものなんだ」と初めて実感して。

 

もともと父は、相当なボンクラで、仕事も全然、続かない人。でもしゃべりがすごくうまくて人当たりがいい。ギャンブルが好きで、小さな僕を連れてよくパチンコ屋に行っていました。床に落ちているパチンコ玉を拾って父に渡すとほめられるのがうれしかった。父との思い出はそれくらいですね。

 

── その後、お母さんは3人の子どもを育てるために、身を粉にして働かれたそうですね。

 

梶原さん:父が仕事をしないので、離婚前から母は働きづめだったんですけど、さらに忙しくなって。常に動いてるか、疲れて寝ているかでしたね。1日に3つぐらい仕事をしていて、家に戻ったわずかな時間に僕らの料理を作り置きし、家事をして、また次の仕事に行く。当時ファミレスが24時間営業だったので、夜中も働き、帰宅は朝の4時ぐらい。それから僕らのお弁当を作って学校に送り出し、また仕事。1日2時間くらいしか寝てない時期もあったんじゃないかな。

 

「寂しい」「もっと一緒にいてほしい」という気持ちもあったけれど、僕らのために必死で頑張る背中をずっと見ていたので「そんなこと言っちゃいけない」と思っていました。我慢しているというより、感謝の気持ちのほうが大きかったんです。

 

── とはいえ、まだ7歳で親に甘えたい時期ですよね。抑え込んだ感情は、どこへ向かっていたのでしょう。

 

梶原さん:兄たちに「もっと遊んでくれ」って言ってましたね。でも、2人の兄は中学生だったので友達と遊ぶことが増えていて。だから、よくひとり遊びをしていました。自分が勇者となって敵を倒していくようなストーリーを脳内で作って戦ったり。もしかしたら、あの時間が表現のルーツになって、その後の芸人の道に繋がってるのかもしれません。