HKT48のメンバーとしてアイドルとして活躍していた兒玉遥さん。デビュー当時からセンターポジションに抜擢されるなど輝かしい日々を歩んでいましたが、あるときから自身を追い詰め、双極性障害に苦しむことになります。(全3回中の1回)

デビューでセンターポジションに大抜擢

兒玉遥
兒玉遥さん

── HKT48でアイドルとして活躍していた時期に、2年半ほど休養され、のちにその原因が双極性障害だったと公表されました。当時、どのような状況だったのでしょうか?

 

兒玉さん:2011年の15歳のときにHKT48のメンバーとしてデビューし、2017年の年末に休養することを発表しました。周りから見ればデビューからセンターポジションを務めたり、選抜総選挙でも9位に選ばれたり、紅白歌合戦に出場したり…順調なキャリアを歩んでいたように見えたと思います。

 

でも、私自身は理想を高く持ちすぎてしまい、焦りをずっと感じていました。常に自分には何かがたりていない、もっとなりたい自分があるのに達成できていないと…。

 

── デビュー当時からセンターポジションという、エースとしての立ち位置でした。もともと、アイドルに憧れていて、デビュー前から並々ならぬ努力をされていたのでしょうか?

 

兒玉さん:昔から読者モデルに応募するなど、芸能界に憧れがありました。その流れでオーディションを受けていましたが、書類審査に合格しても最終審査は東京で行われることがほとんどで、福岡に住んでいた私は上京するには交通費もかかるので、半ば諦めていました。でも、ある日、父が地元で活動できるHKT48のオーディションの情報をどこからか知って、私に教えてくれたんです。それで気楽な気持ちで受けてみました。

 

ただ、歌やダンスの経験はほぼゼロだったので、オーディションでも周りの子たちに比べてなにもできませんでした。絶対に落ちたと思っていたので受かったと知ったときは驚きました。運がよかったし、伸びしろに期待して採用してくださったのだと思います。

 

── 歌とダンスが未経験ということは、デビューに向けてかなり努力されたのでしょうか。

 

兒玉さん:そうですね。学校を早退して毎日レッスンに通っていました。学業と両立したかったのですが、それが難しいほどの忙しさ。高校受験を控えていたので、アイドルの道に進むか、受験勉強をして進学するか、家族で話し合いの場を持ちました。私はアイドルとして頑張りたかったのですが、母は学業を頑張ってほしいと。それで「デビュー曲でセンターポジションに選ばれなかったらアイドルを辞める」と母と約束をしたんです。

 

せっかくもらえたチャンスなので「やるしかない!」と頑張ったところ、まさかのセンターポジションに抜擢されて。母は喜んではいなかったのですが、もうその道で前に進むしかないと覚悟を決めたようでした。