「妊娠したら番組を降りる」と平気で言われていた時代、仕事と子育てを両立し、新しい道を切り開いたハイヒール・モモコさん。子どもからは「ほかのお母さんは家にいるのに」と言われたこともあったそうですが ── 。(全4回中の2回)
先輩から「わたしらの時代は結婚か芸人の2択だった」

── 今年で結婚生活32年、3人の子育てと芸能活動を両立してきたハイヒール・モモコさん。『あさパラ!』など数々の番組で司会などを長年務め、関西のテレビ界にはなくてはならない存在として活躍されてきました。家庭を持ちながら第一線で仕事を続けることは、いまでこそ珍しくなくなりましたが、当時、子育てと仕事を両立している女性芸人さんはいらっしゃらなかったそうですね。
モモコさん:そうでしたね。長男を妊娠した30年前は「妊娠したら番組を降りてもらいます」と平気で言われる時代でした。当時は、女性芸人が妊娠中も番組に出続けること自体が本当に珍しかったんです。「もしものことがあったら大変だ」というのはわかるのですが「妊婦がテレビに出てはしゃいでるのはちょっと…」と言われたり。今思えば、ずいぶん理不尽な話ですよね。
とくに、大阪の女性芸人では前例となる先輩がいなかったんです。吉本興業だと「若井小づえ・みどり」さんや「今いくよ・くるよ」さんが、女性芸人の先輩ですが、「わたしらの時代は、結婚か芸人かの2択しかなかったから芸能の道に進んだけど、あんたらは結婚して子育てもしいや」って背中を押してくれて心強かったですね。
ただ、周りにロールモデルがいなかったので、本当に手探りの日々でした。産んでから1週間後にレギュラーのラジオ番組に行ったら周りがざわついて「ええっ!? 台本作ってないよ」と驚かれて。
── 1週間で復帰ですか!? なぜそんなにスピード復帰を?
モモコさん:休んでいいものかわからなかったんです。それに、産後みんなが赤ちゃんを見に遊びに来てくれるんだけど、「これならラジオに出てしゃべるのと変わらんやろ」と。それなら働いたほうがいいと思ったんですよね。休むとその間、収入はゼロですから。
99年に2人目を産んだときは、せっかく堂々と休めるのならとハワイで出産し、少しゆっくりしたのですが、2002年に3人目を産んだときは、また1週間で復帰しました。じっとしていられない性格なんですよね。後輩芸人のなるみからは「モモコ姉さんが見本ちゃうで!」と怒られて。後輩たちには自分に合った形で出産や子育てをしてほしいと思います。
── 夫やシッターさんの助けがあったとしても、1週間での復帰はかなり大変だったと思うのですが、どう乗りきったのでしょうか?
モモコさん:ベビーシッターさんが来るまでは、2年間ずっと子どもを仕事場に連れて行っていました。マネージャーやメイクさんたちが協力してくれて、本番中はかわるがわる誰かが見てくれたんです。おしめをかえたり、ミルクをあげたり、みんなに育ててもらったようなもの。本当に感謝しています。
ちなみに、当時のマネージャーが周りが誰も結婚していないうちから、おむつ替えなどの育児が完璧にできたので、結婚した際に奥さんから大変感謝されたそうですよ(笑)。