テレビ番組のお見合い企画で出会った夫と結婚して32年。3人の子どもを育て上げたハイヒール・モモコさん。2歳で両親が離婚、高校は1年で中退して暴走族に入ったという生い立ちを経て、夫婦2人の生活になった今、思うことは── 。(全4回中の1回)

2歳で両親が離婚し、高校1年で中退

ハイヒール・モモコ
多忙のなか、大阪から新幹線で取材現場に駆けつけてくれたモモコさん

── 関西を拠点にテレビや舞台で長年活躍してきた漫才コンビ・ハイヒールのモモコさん。芸人として第一線を走り続けるいっぽうで、プライベートでは3人のお子さんを育ててきたお母さんでもあります。そんなモモコさんですが、幼少期にはどんなご家庭で育たれたのですか?

 

モモコさん:2歳のときに両親が離婚して父に育てられました。でも、小学校2年で父が再婚して、厳しい義母との生活が始まったことで、家の空気がガラッと変わってしまって。かわいがってくれた祖母やお手伝いさんがいなくなり、安心できる居場所がなくなってしまったんです。

 

── 重苦しい空気のなか、子どもだったモモコさんはどんなふうに過ごされていたのでしょう?

 

モモコさん:誰にも頼れないなら、自分でなんとかするしかない、という意識が芽生えたのでしょうね。「私がこの家の重苦しい空気をなんとかせな」と、おどけて笑わせ役に回っていましたね。周りの顔色をうかがって、「みんな大丈夫?」「機嫌悪くない?」って。みんなに笑顔でいてほしかったんです。

 

── 人を笑顔にしたいというその気持ちが、お笑いへの原点だったのかもしれませんね。

 

モモコさん:もしかしたら、そうかもしれませんね。その後、中学2年で実の母に引き取られて生活がガラッと変わったことで、一気に自由になり、その反動が出てしまったんです。高校も1年で辞めて働きはじめて、暴走族に入ってバイクで走り回ったりしていましたね。

 

── そこから、なぜお笑いの世界へ?

 

モモコさん:当時、東京の代々木公園付近で踊っている「竹の子族」にあこがれていて、どうしても東京に行ってみたかったんです。交通費をタダにするために、友達と素人参加型のお笑い発掘番組に出ることにしたのがきっかけでした。

 

だから最初は芸人を目指していたわけではなかったんですよ。でも、その番組を観た吉本の方が「うちに学校あるから来ないか」って誘ってくれて、NSCの1期生になりました。同期には、ダウンタウンやトミーズがいます。

 

── モモコさんといえば、元ヤンエピソードでも有名ですが、実際どんな感じだったんでしょう。

 

モモコさん:当時は「なめ猫」という暴走族の身なりをしたキャラクターが大ブームで、ヤンキー全盛期。私は流行りものが好きなので、時代の波に乗ってただけなんです。雑誌やマスコミもよく取材に来てましたね。子どもに暴走族時代の写真を見られたときは、「これ、ハロウィンやで」ってごまかしましたけど(笑)。

 

よくメディアに「当時のやんちゃな写真出して」ってお願いされるのですが、「コンプラ的にちょっとこれは…」って断られることが多くて(笑)。時代のせいだけじゃなくて、まあ、若かったんやなと、今では笑い話です。