ママ友との集会や満員電車が恐怖になった訳
── 自分でも思いもよらなかった行動だと思いますが、当時はどんなお気持ちだったのでしょうか。
神田さん:手術をしたときはもう結婚も出産もしていましたし、いまから恋愛するわけでもないので、「胸を切ること」にそこまで抵抗はなかったんです。でも、なんでしょうね、この喪失感っていうのは…。女性としての尊厳が強制的に撤去されて、自分のアイデンティティがわからなくなるような気持ちになってしまうんですよね。それで自分でもびっくりするぐらい落ち込んでしまったんです。「もう女性としては終わりなんじゃないか」「私この先ずっとこの体で生きていかなきゃいけないのかな」と、思うようになって…。
当時は子どものママ友とも交流がありましたが、同世代のママたちには、ふつうに左右の胸があって、「もうこの輪の中には入れないのかな」と思ってしまったんです。とにかく自分が乳がんだと、人に言いたくなかったんです。「あのお母さん、乳がんで胸なくなったらしいよ」みたいにウワサされたら、もう立ち直れないな、と。「かわいそうに」「お気の毒」みたいに思われるのがイヤだったんです。
── 精神的に追い込まれてしまったんですね。
神田さん:退院後は心療内科に通って、抗うつ剤をもらって飲んでいました。でも、飲んでもただ眠くなるばかりで、気分は何も変わりませんでした。カウンセリングも受けましたが「私の気持ちを誰もわかってくれない」という被害者意識が強すぎて、気持ちがラクになることもありませんでした。以前は、たまにスーパー銭湯に行って、ひとりでリラックスするのが息抜きだったんです。手術後はそれもできなくなってしまって…。
── 乳がんで手術をすると、傷をかばって姿勢が悪くなってしまうこともあるそうですね。
神田さん:私は身体のバランスがうまくとれなくなり、歩行中、上手に道を曲がれなくなりました。傷の痛みがなくなったあとも、満員電車が怖くて。つい傷をかばってしまうんです。小さい子が飛びついてくるのも怖かったです。もし何かの拍子に胸を触られてしまうと思うと怖かったんですね。子どもが近づくたびに、無意識に胸をかばってしまい、「またやってしまった」と罪悪感にかられることもたびたびでした。
── それはつらかったですね…。精神的に回復できたきっかけは何だったのでしょうか。
神田さん:とにかく行動したこと、でしょうか。悩みを解消しようと、術後の胸でも胸がきれいに見えるような下着をあちこち探し回ったんです。そのことが、かえって心の支えになっていたような気がします。「いい下着がある」と聞いたらすぐにお店に見に行って、買って試してみる、というのを繰り返して、だんだん気持ちが上がってきたんです。行動するしか道がなかったんですよ。その結果、理想の下着に出会えて「同じ悩みを持つ人に紹介したい」と、自分だけでなく人の悩みにも目を向けることができるようになったことで、より心が強くなってきたように思います。
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乳がんで左胸を全摘した神田文子さんですが、手術後は身体に合った下着が見つからず、ダボッとした洋服以外は着られなくなってしまいました。探し続けた結果、自分に合った下着に巡り合うことに。「同じ境遇の人にぜひ紹介したい」とそこから一念発起し、現在は神奈川県川崎市で試着販売できるサロンを営んでいます。
取材・文/市岡ひかり 写真提供/神田文子