「ホルモン注射を打ちたいと」母に...

佐藤かよ
透明感がすごい

── その後、どうされたのでしょうか。

 

佐藤さん:女の子の格好をして過ごしてはいたものの、思春期になると、二次性徴で体はどんどん変わっていきますよね。それが本当に不安で、すごくつらかったです。それで、14歳のときに「ホルモン注射を打ちたい」と母に伝えました。ホルモン注射で女性ホルモンを投与することで、体が少しずつ女性的な変化をするんです。母は「そう言うと思ったよ」と言って、母のかかりつけの産婦人科に連れて行ってくれたんです。そこで、初めて女性ホルモンの注射を打ちました。

 

── 理解があるお母さんだったんですね。

 

佐藤さん:保育園のころから、自分の性別に違和感を感じていたものの、誰にも相談することはありませんでした。でも、母は「困ってることはない?」とか「どうしたいの?」って、無理に問いただすようなことはいっさいせずにいてくれました。だから、私も自分がトランスジェンダーであることを母にはっきりと言ったことはなかったんです。そのいっぽうで、母なりに察していろいろ調べてくれていたみたいです。私が「ホルモン注射を打ちたい」と言ったときには、もうかかりつけの先生に相談をしてくれていました。

 

── 言わずとも察してくれていたんですね。

 

佐藤さん:ほかにも「戸籍の変更が認められるようになったら、日本も少しずつ変わっていくね」など、遠回しにそんな話をしてくれることもありました。無理に聞き出そうとはせず、私が自然に話せるように、そっと環境を整えてくれていたんだと思います。

 

小さいころから「普通じゃない」と言われてきて、母はきっと私のことでたくさん悩んで、心配していたと思います。でも、学ランが着たくないと言ったときも、父と私の間で板挟みになったときも、ずっと私の気持ちを尊重してくれていました。LGBTQという言葉もほとんど知られていなかったあの時代に、私の気持ちに寄り添い続けてくれた母には、感謝しかありません。

 

── 実際に注射を打たれてどうでしたか?

 

佐藤さん:ホルモン注射って、1回打ったからといって何かが急に変わるわけではないんです。だから、すぐに何かが変わったわけではなかったのですが、大きな不安から解放されたような気がしました。心と体がようやく一致したような、そんな安心感がありました。「これでようやく、私としてのスタートがきれる」って、心からそう思えたんです。今でも、あのときの気持ちははっきり覚えています。

 

 

佐藤さんは21歳のときにトランスジェンダーであることを公表していますが、その決断の背景にはまたしても「密告」という出来事がありました。所属していた事務所に「あの人、男ですよ」という電話がかかってきて、社長に性別がバレてしまいます。しかし、最初こそ驚かれますが、事情をしっかり理解してくれたそう。何度も話し合いを行った結果、カミングアウトを決意します。離れていく人もいましたが、「それでも残ってくれた人を大事にしよう」と、強く思ったそうです。カミングアウトの反響は大きく、結果的には仕事の幅を広げることに。そこから大いに存在感を発揮していき、今に至ります。

 

取材・文/大夏えい 写真提供/佐藤かよ