「もう一度歌うのよ!」由紀さんの言葉が染みて

── 卵巣がんが見つかる前は体調不良を更年期のせいだと思っていたことと、婦人科受診のハードルが高かったため、検査をためらっていたそうですね。そんななか、病院での検査を強く勧めてくださった由紀さおりさんには、治療が終わったことも報告されたのですか?
市川さん:抗がん剤治療が終わって、まず由紀さんに会いに行きました。そのときはもう涙や鼻水で顔がぐちゃぐちゃになって…。由紀さんは「よくがんばったね」と抱きしめてくださいました。
実は治療中、自分のなかで「もう歌手復帰は難しいかもしれない」とあきらめかけたことがありました。そのころ由紀さんには「もう一度歌える日が来たら、由紀先輩、そのときはまたご指導をお願いします」というメールを送ったんです。するとすぐ返事が来て「もう一度歌える日が来たらじゃない、『もう一度歌う』のよ!この痛みになんで耐えてきたの?もう一度歌うためでしょ?」って。きっと、「もう一度歌える日が来たら」という言葉のニュアンスから、私が弱気になっていることを察してくださったんでしょうね。そのメールを見て涙が止まりませんでした。このままじゃいけないと自分を奮い立たせ、再び治療に向かわせてくれたのも由紀さんなんです。
── 今年の3月には9か月ぶりに人前で歌声を披露されました。長年のキャリアがあるので、歌う感覚はすぐに戻ったのでしょうか?
市川さん:それが、なかなか戻らなくて…。自分のオリジナル曲がきちんと歌えるか不安を抱えながらレッスンを再開したのですが、高い音を出すためには腹筋が必要なので、開腹手術をしたお腹に力が入らない。それで思うような音が出ないんです。声も線が細いですし、自分が納得できる声ではありませんでした。でも、歌の先生からは「いや、大丈夫だよ」「前よりよくなってるよ」「あとは由紀乃の努力次第だから」と励まされて、時間を見つけてはカラオケボックスやスタジオで発声練習を重ねました。
だんだん歌声が戻り、9か月ぶりにお客様の前で歌ったのは、生放送の歌番組。リハーサルでは涙で声がつまってしまったのですが、その番組に由紀さおりさんも出演されていて。「由紀乃ちゃん、泣かないで。きちんとファンのみなさんに歌を届けてね」と声をかけていただき、本番は最後まで歌いきることができました。その後、無事に新曲が出せてコンサートもできるようになったので、ホッとしています。
── 卵巣がんになる前とは仕事に対する向き合い方も変わりましたか?
市川さん:それはもう、変わりました。いままでは、用意していただいた舞台に立って、いろんなスタッフの方がサポートしてくださって、お客さまが応援してくださって…という状況がある意味では歌手として普通のことだと思っていたけれど、いかに特別な時間を過ごしていたかとありがたさをかみしめるようになりました。普通であることがどれだけ特別なのかと感じたんです。
こうして取材していただいているこの時間も特別だし、もうまず生きてるっていうことがどれだけ素晴らしいことなのか。新しい人との出会いもあるし、再び出会える喜びもある。歌を歌うこと、「ありがとう」と伝え合うこと、1日1日を過ごせることがありがたいんです。
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つらかった抗がん剤治療を乗り越え、歌手として再び舞台に立てるようになった市川さんですが、実は過去にも1度、芸能界を引退し、飲食店でアルバイトしていた時期があります。そのとき、歌手復帰のあと押しになったのは、障がいを持つ兄の存在だったそう。歌手である妹を誇りに思っていた兄の気持ちを汲み、再び歌に挑戦した市川さん。その復帰を見届けるように、お兄さんは39歳で生涯を閉じます。市川さんは「今の自分があるのは、支えてくれた母や兄の存在があってこそ」と語ってくれました。
取材・文/富田夏子 写真提供/市川由紀乃