元プロ野球選手の青木宣親選手のメジャーリーグを支え続けた、元テレビ東京アナウンサー青木佐知さん。小学生から始めた水泳は、全国大会に出場するほどの実力です。「人生は有限。迷ったら後悔の少ない選択肢を選ぶ」というユニークな人生観が育まれたきっかけとは?(全3回中の3回)

選手として五輪出場を夢見て「難しいとわかって」

── 青木さんは、2006年にテレビ東京に入社。『ウイニング競馬』の司会を務めるなど、2010年に退職するまでの4年間、アナウンサーとして活躍されました。そもそもアナウンサーをめざしたのはなぜでしょうか?

 

青木さん:オリンピックに関わりたかったんです。私は小学校1年生から水泳を始め、高学年に入ると全国大会やジュニアオリンピックにも出場するようになりました。「いつかオリンピックに出場したい」と、大学の体育会水泳部にも所属して練習を重ねていましたが、選手としては難しくて…。それでも夢をあきらめられず、どうしたらオリンピックに関われるだろうと考えたとき、「アナウンサーになればいいんだ」とひらめいたんです。

 

アナウンサー志望の子は就職活動に向けてスクールに通う子もいるのですが、私は大学でも水泳ひとすじだったので。朝練して、授業を受けて、夜も練習して…という日々のなかで、そうした時間も余裕もありませんでした。

 

── アナウンサー志望の学生は早くからスクールに通うイメージがあります。青木さんはまったく通っていないんですね。

 

青木さん:そうなんです。だから就職試験の面接のときは、私だけ異彩を放っていたかもしれません。ほかの学生は準備万全だったと思うのですが、私は水泳の朝練に出てから大急ぎで面接会場に駆けつけました。だから髪の毛はびしょびしょで、ほぼノーメイクのままで。「髪の毛が少し濡れていますが、どうしたんですか?」と面接官に聞かれたほどでした。よくも悪くもインパクトがあったのかもしれません。

 

私はたまたま面接官との相性がよかったと思うので一概には言えませんが、振り返ればアナウンサー学校に通わず、まっさらな状態だったのがむしろよかったのかな?という気もします。