仕事の武器とも言える声が、病気によって以前ほどのパワーを出せず、仕事への復帰当初は悩んだと話す未知やすえさん。オフの日も外出するなどアクティブでしたが、病気と向き合い、ふだんの時間の使い方まで変えたといいます。(全3回中の2回)

「声が出ない」「キレ芸しんどい」復帰直後の悩み

── 吉本新喜劇座員として、今年で40年目を迎える未知やすえさん。「脳みそストローでチューチュー吸うたろか!」などの「キレ芸」で人気を博しています。5年前に、完治しない間質性肺炎で入院し、いまも闘病を続けています。間質性肺炎は一般の肺炎とは異なる疾病であり、進行すると死に至る呼吸不全に陥る可能性があります。現在、症状は落ち着き、精力的に舞台やテレビに出演していますが、復帰当時はどのような様子でしたか?

 

未知さん:2020年春に、間質性肺炎で1か月ほど入院しましたが、退院後は自宅の階段を休みながらでないと上がれないほど、足が弱りました。テレビから仕事を再開し、新喜劇の舞台にも復帰することになりましたが、もう不安と緊張でいっぱいでした。3か月ほど舞台から離れて復帰すると、思うように声が出なくなっていて、大ショック。声って、使わないと出なくなるものなんです。

 

── そこまで違うものなのですか。まわりの反応は?

 

未知さん:声が出なくなっていたのは、まわりにも気づかれており、「(声は)大丈夫ですか?」とずいぶん心配されました。病気についてもまわりが気をつかってくださり、逆に申し訳ない気持ちを感じました。私には舞台に何人か並んでもらい、ひとりずつに「ええかげんにせえよ!」など、ひと言キレる持ちネタがあるのですが、以前は数人連続でできたのに、退院後は体力が持たなくて、連続でできなくなりました。

 

しかたないので、座長に台本や演出を配慮してもらい、体力が回復するまでは一度にキレる人数はひとりにしてもらいました。もとどおり息が続くようになり、メンバー全員にキレられるようになるまでには1年かかりました。

 

未知やすえ
間質性肺炎で入院中の病室で逆立ちして身体を鍛える未知さん

──「キレ芸」には体力が必要なんですね。周囲やご自身が「もとに戻った」と感じたのはいつですか?

 

未知さん:復帰後1年たって、マネージャーから「声が戻りましたね」と言われたときでしょうか。そのときは本当にうれしかったです。そのころになると、まわりも私の病気のことは忘れるくらい、元気を取り戻していました。でも、私の慢性間質性肺炎は治らないので、現在も量を減らして服薬を続け、月1回の検査に通っています。すぐ息切れするため、走るなど激しい運動はできませんが、肺の影は広がっておらず、症状も落ち着いているため日常生活や舞台に支障はありません。