「リスクが大きいから、3人目はダメや」

── みなさんに祝福されて結婚されたのですね。
河除さん:そうですね。それから半年後に、妊娠がわかりました。私の病気は症状に波があるのですが、ホルモンバランスが関係しているのか、妊娠したら悪化して、鼻血がよく出るようになってしまったんです。量がすごくて、鼻をおさえたら口から血が出てくるし、くしゃみをしたら目や耳からも血が出てくるほどで。幼いころから鼻血がたくさん出るのは日常的だったので麻痺してしまって、そこまで深刻に考えていなかったんですけど、今思うと生死に関わりますよね。
1人目のときは、出産後に病状がさらに悪化してしまって、手術を受けました。入院中、生後5か月だった息子は実家の母に預かってもらいました。自分のことより、子どものことが心配でしたね。
4年後に2人目を授かったのですが、妊娠8か月のときに出血して倒れてしまったんです。お腹に赤ちゃんがいると手術ができないから、1か月間は入院して安静にしていました。9か月に入ったところで、産婦人科、小児科、耳鼻科、形成外科の先生方の予定が合う日に赤ちゃんを取り出してもらって、すぐに手術を受けました。
産婦人科の先生に、「リスクが大きいから、3人目はダメや」と言われてしまって、本当は3人ほしかったですけど、あきらめました。それまでは、出産にリスクがあるとは知らなかったんです。知らなかったから、長男と次男を産むことができました。

── その後、体調はいかがでしたか。
河除さん:そのあとも何度か手術をしましたが、6年ほど前に大がかりな手術を受けました。当時、中学校で図書館司書の仕事をしていたのですが、仕事中に大出血をして倒れてしまったんです。先生方が救急車を呼んでくれて、私を乗せた担架をみんなで協力して運んでくれて…迷惑をかけてしまいました。富山県内のかかりつけの病院ではどうにもできなくて、東京の病院へ移送されました。
10年ほど前、東京で開催されたイベントで出会った同じ病気を持つ方が、東京の病院を紹介してくださったんです。それがなかったら、私はこの世にいなかったかもしれません。地元の病院と合わせて、2か月弱入院しました。このときの手術のおかげで、大量に鼻血が出ることはなくなりました。ただ、ゆっくり進行する病気なので経過観察は続けています。
入院中は、夫がずいぶんサポートしてくれました。それまでも入院はしょっちゅうしていたけれど、こんなに長く入院するのは初めてだったので、子どもたちはこたえたかなと思います。できるだけ電話で話したり、夫に託して交換日記をしたりしました。
特に次男はまだ小学生だったので、担任の先生が言うには、そのころはちょっと荒れていたそうです。退院して帰ったとき、喜んでいたかはわからないですけれど、先生には「お母さんが帰ってきて落ち着きましたね」と言われました。
── 今はおいくつになられたのですか。
河除さん:22歳と19歳、2人とも大学生です。長男は実家から通っているんですけど、次男は4月から東京へ行ってしまって、さみしいですね。2人とも、自分のことを自分でできるようになってくれたらと思っています。
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2人の息子さんを育てながら、河除さんは自身の経験を伝えるひとり芝居を始めます。ひとり芝居や講演などで、見た目を理由に差別や偏見を受ける「見た目問題」を発信する河除さんの活動は、多くの人の共感を呼んでいます。
取材・文/林優子 写真提供/河除静香