しゃべれない時期を経験したからこそ、わかること

レンタルなんもしない人
会社員1年目に同期との集いにて

── 2018年6月から「レンタルなんもしない人」をはじめたそうですね。Xで募集をかけて依頼を受けますが、依頼内容も多岐にわたり、ひとりでライブハウスに行けない人に同行したり、誰にも言えない思いを聞いたり、お花見に同席したり…さまざまな依頼が届くそうですね。メディアでも話題になりましたが、今年で開始から7年が経ちました。

 

レンタルさん:以前の職場は、どれも数年でピンとこないようになっていましたが、このサービスは依頼者も依頼内容もさまざまなので、飽きることがありません。「こうすべき」といった周囲からの圧力を感じることなく、「なんもしない」ことでサービスが提供できる。僕には合っていると思います。

 

── これまでだいたい何人くらいに会ってきましたか?

 

レンタルさん:リピーターも増えましたが、たぶん7000人くらいは会ってきたのかな。

 

── かなりたくさんの方に会われていますが、レンタルさんは、小学1、2年生のころに場面緘黙のような症状を経験されました。場面緘黙症とは、家の中では普通に話せるのに、学校など、特定の場所や状況でまったく話せない状態のことを言うそうですね。当時は人に何を聞かれても無表情で固まっていたそうですが、そうした経験が、いまのサービスで活かされているようなことはありますか?

 

レンタルさん:たくさんあります!僕は、今でこそ初対面の人と話すことは問題ないのですが、小学1、2年生のときはクラスの友達といっさい会話ができませんでした。友達に話しかけられても固まってしまう。言葉に出そうとしてもどう伝えたらいいのか考えすぎて、何も反応ができなかったんです。何かを聞かれても、うんともすんとも言えず無表情だったので、僕に対してみんなが腫れ物に触れるような扱いだったし、僕のことを不気味に感じた人もいたと思います。

 

僕の場合はたまたま小学3年生のときのクラス替えをきっかけに、クラスの友達と会話ができるようになりましたが、しゃべれない時期を経験したことで、うまくしゃべれない人の気持ちも少しはわかるつもりです。

 

僕に「レンタル」依頼をする人は、コミュニケーションが苦手な方もたくさんいます。だから、たとえ僕に会った瞬間からずっと無言のまま過ごすことになっても、僕はまったく気になりません。相手が話したいタイミングで、相手のペースでしゃべればいいと思うんです。無理にこちらが急かすようなこともしないですし、沈黙が気まずいとも思わないです。

 

その結果なのか、僕はただ隣にいるだけなんですけど、リピーターになる方も多いんです。たとえば花見に行って2時間黙々と話さずに景色を眺め続けるとか、その人が行ってみたかったカフェに同行するとか。僕が「なんもしない」ことでまた「依頼したい」と思うほど居心地よく感じているなら、いいことだし、しゃべれないことで苦しんだ過去の自分の経験がいかされているなと思います。

 

──「レンタルなんもしない人」という名前の通り、レンタルさんに依頼する人は、いい意味でレンタルさんに期待しない、ということでしょうか?

 

レンタルさん:そうだと思うし、僕自身も期待されたくない気持ちがありますね。今の活動をする前の話になりますが、人とうまく話せなかった時期は、どこかでちゃんと相手の期待に答えなきゃと勝手に思っていたのかもしれません。また、たとえば「レンタル」以外の場面で大勢の飲み会に呼ばれたとして、場に馴染むことを期待されるのはつらいですし、自分から頑張って合わせにいくのはしんどいです。

 

あと、しゃべれない時期を経験して思ったのは、心理的安全性が確保できれば、少しは話しやすくなるなということです。僕はときどき哲学カフェに行くことがあります。進行役のサポートのもと、参加者同士で哲学的な議論や対話を行う場所なのですが、ここではみんなが落ち着いて話せるよう進行役がうまく場を作ってくれるから、相手の反応を必要以上に気にしてしまうこともなく、安心して話せます。

 

場面緘黙症のように、特定の場所や状況でだと話せない人がいるということはまだまだ知られていないように思います。もしかしたら自分や周囲の人がしゃべることで困ることがあるかもしれないと、知識だけでも知っておきつつ、そうした場面に遭遇した際は当事者の心理的安全性を確保できるといいのかなと思います。

 

取材・文/松永怜 写真提供/レンタルなんもしない人