「レンタルなんもしない人」として「何もしない人(自分)を貸し出す」サービスを提供しているレンタルさん。小学校時代は家族などとは会話ができても、クラスの友達とはいっさい話せない、場面緘黙症のような症状を経験します。この出来事が現在の活動にも繋がっていました。(全2回中の2回)

どの仕事もピンと来なかった

レンタルなんもしない人
2025年に母校の高校にて

── 小学1、2年生のときに場面緘黙のような症状が出ていたそうですが、小学3年生のクラス替えをきっかけに克服。小学校卒業まで楽しく学校生活を送りました。しかし、中学時代に入った塾では再び同じような状況になったと聞いています。その後、高校と大学と進学されましたが、学校生活はいかがでしたか?

 

レンタルさん:高校時代は人と話せない症状は特に出ず、大学に入った後も新しい友達ができて、しばらくは楽しく過ごしていました。

 

ただ、僕が大学1年生の終わりごろに姉が自死したんです。姉の件でしばらく気持ちを引きずってしまい、友達にもどう振舞っていいのかわからなくなってしまいました。みんなとだんだん関わらなくなって、ひとりで行動するように。授業がわからなくても相談する友達がいなかったし、レポートが溜まってしまって1年留年することになりました。

 

3年生を2回過ごしましたが、学年がひとつ下の人たちと新しい人間関係を構築する気力もなく、大学を卒業して大学院まで進んだものの、卒業するまでキャンパスライフはあまり楽しめませんでした。

 

── 大変なことがあったのですね。

 

レンタルさん:僕は3人きょうだいで姉のほかに兄がいたんですけど、兄も今から4年前に病気で亡くなりました。兄と姉の死は、その後の人生にも影響を及ぼしていると思います。

 

── 大学院卒業後は、教育系の出版社、編集プロダクション、フリーランスとして活動していきます。

 

レンタルさん:どの仕事も楽しかったのですが、数年続けていると、どれもピンと来なくなってしまいました。兄や姉の件もあったので、「この先どうしようか」と考えながら哲学書をたくさん読むようになったんです。「人間の価値は何で決まるのか」といったテーマの本はよく読んだし、ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』を読んで、超人思想…既存の価値観に縛られず、みずから新しい価値観を創造するような、人間の理想像についても考えましたね。

 

兄と姉の影響も大きいのですが、「社会に役立つ人間しか存在価値がない」とか「生きるために何かを頑張らないといけない」といった考え方は違うと思ったし、世の中の圧というか、世の中が求めるものに無理に合わせることに違和感も抱くようになったんです。

 

そんなときにX(当時はTwitter)で見つけたのが「プロ奢ラレヤー」さんです。人にご飯を奢られることで生計を立てている人ですが、「好きなことで生きていく」というより「嫌なことで生きていかない」をモットーに活動をされています。自分もなんもしたくない気持ちが強くなっていたときに、「プロ奢ラレヤー」さんを知って、生き方の幅が広がったような気がしたんですね。

 

僕の場合、「なんもしない」ことで過ごせるならとはじめたのが「レンタルなんもしない人(何もしない自分を貸し出すサービス)」です。僕は会社員やフリーランスなどもやってみましたが、どれも向いていませんでした。自分はなんにもできないと感じていたし、子どものころは場面緘黙症のような症状が出て学校で話すことすらできませんでした。そうでなくても、周りの人と協力して何かをしようとなったときに何をしたらいいのかわからず、人に聞くこともできずにボーッとして、周りから「お前は何もしないな」と言われたり。大人になっても人とのコミュニケーションはずっと悩んでいました。でも、自分はなんもできないということこそが、自分ができる活動なんじゃないかなと思ったことで「レンタルなんもしない人」というサービスをしてみようと思ったんです。