『進ぬ!電波少年』の「電波少年的東大一直線」で一躍注目された坂本ちゃん。子どものころは父親に怒られてばかりで、ある出来事がきっかけとなり、完全に距離を置くようになったそうです。(全3回中の1回)
母の実家に引っ越してから父に異変が

── 亡くなったお父さんとは距離があったそうですが、ご自身では子どもの頃はどんな性格だったと思いますか?
坂本ちゃん:ひと言で言うと地味でした。学校では授業中ずっと下を向いているタイプで、勉強もできないし、友達もいない子どもでした。遠足に行くときに、「仲のいい友達4、5人でグループを作りましょう」となると、いつも困った記憶があります。
兄弟は兄と弟がいます。外遊びを好む兄や弟と比べて、私は図書館で借りてきた本を家で読むとか、テレビを観るほうが好きでした。とくにテレビの世界には憧れがあって、80年代のアイドルや歌番組、ドラマを観ながら、「いつか自分がテレビの世界で働けたら、みんな自分の存在を知ってくれるんじゃないか」と思っていました。
── ご両親との関係はいかがでしたか?
坂本ちゃん:子どものころは母が大好きでした。ただ、のちに私が芸人になり、『進ぬ!電波少年』の「電波少年的東大一直線」に出ると仕事が一気に増え、お金がたくさん入ってきた時期があったんです。そのころから母にお金を無心されるようになって、結果的に母とは絶縁することになりました。ただ、子どものころはよくしてくれたと思います。
父は、私にとってずっと怖い存在でした。父と話すといつも怒られているような気持ちになったし、父と話すと緊張したんです。私は兄弟のなかでも少し冷めていたというか、甘え下手で何を考えているのかわかりにくく、父から見てもかわいげがなかったと思います。父も私とどう接していいかわからなかったんでしょうね。
父と会話をすることは少なかったのですが、私が小学生のころ、父は小学校のPTAの会長もしていたんですよ。
── 教育熱心な方だったのでしょうか?
坂本ちゃん:いや、たぶん目立ちたかっただけだと思います。子どもや学校のためでは全然なくて、周りから「お願いしますよ」と頼まれると嫌とは言えず「わかりました」といい顔をしていたんじゃないかな。
── 坂本ちゃんが小学校5年生のときに、母方の祖母と一緒に暮らすことになり、東京から母の実家の山梨に移住されました。
坂本ちゃん: 母の実家は桃の農園を営んでいて、自給自足で野菜も作っていたんです。田舎だから家も広いし、母の実家ではあるけれど、父は「持ち家ができた」と喜んでいました。ただ、父はもともと会社員で、東京から山梨に移住した後も会社員を続けていたんです。でも、移住してしばらくすると会社に行かなくなりました。子どもだったから桃農園と野菜作りで生活が成り立っていたのかわかりませんし、日中は私も学校に行っていたので父が何をしていたのか知らないんですけど、会社に出勤している様子はありませんでした。私が学校から帰ってきて、父は夕方4時か5時くらいから毎日お酒を飲むようになって、お酒の量は日に日に増えていきました。お酒を飲んでは悪態をつくこともあったしアルコール中毒だったんだと思います。