中学3年生のときに脳出血を発症。脳幹部にある血管奇形の一種「海綿状血管腫」によって、左顔面麻痺や右半身麻痺など、いくつか障がいが残ったしぶきさん。22歳で障がいを持ってから初の彼氏ができますが、つき合ってわずか2、3か月で双子を授かります。そして── 。(全3回中の3回)
自分のことで精一杯なのに「まさか私が母親に?」

── 中学3年生のときに脳出血を発症。しぶきさんは左顔面麻痺や右半身麻痺など、いくつか障がいが残りました。中学、高校時代は障がいを受容することができずつらい思いを経験されましたが、短大生になるころには杖歩行で歩けるまで体の状態が安定し、友達にも恵まれ、とても充実した日々を過ごせたそうですね。
短大卒業後に隣の中学の同級生と再会し、交際に発展します。その後、2021年22歳のときに結婚されましたが、経緯について聞かせてください。
しぶきさん:旦那さんと交際がはじまって2、3か月したころ、子どもを授かったんです。
── もともと子どもを望んでいたのでしょうか?
しぶきさん:いえいえ、自分のことだけでも精一杯だったので、子どもについて考えたこともなかったです。正直もうちょっと2人の時間を楽しみたい気持ちがありましたが、彼は「産んで一緒に育てよう」の1点張りでした。母親になる決心がつかないまま婦人科に通っていましたが、あるとき、検診で子どもが双子だとわかったんです。私のお腹にふたりも命が宿っている。ここで「自分は母親になるんだ!」と覚悟ができた瞬間でした。もちろんこの先、大変なことはわかっていましたが、授かった命を大事にしたいと思ったんです。
── 2022年、23歳のときに双子を無事に出産されます。病院を退院して、家族4人の生活が始まっていかがでしたか?
しぶきさん:最初のころは何もできなかったですね。母と私の妹が家にきて、子どもたちのお世話全般をやってくれました。特に母は子育ての経験があるので、オムツ交換から首を座らせる練習、子どもの寝かしつけまでいろいろやってくれて助かりました。いっぽうで、私は麻痺の影響で自分ひとりで立っていることが精一杯です。子どもを抱きながらうまくバランスを保てないし、オムツを取り替えるには体を前かがみにした状態で上半身で作業をすることになりますが、私にとっては少し難しいことでした。母や妹のように機敏に動くこともできず、子どものお世話を全然してあげられないもどかしさをずっと感じていました。
── 夜泣きはいがでしたか?
しぶきさん:かなり大変でした。最初は母が泊まり込みで見てくれましたが、生活が徐々に安定すると、夜、旦那さんが帰ってくる時間まで家にいて、夜には帰るようになったんです。私がうまく抱っこができなかったので、夜泣きが始まると旦那さんが起きてあやしてくれましたが、旦那さんも昼間は建築現場で働いていて、朝も早いし、危険を伴う仕事も多く、体力的にもキツいんです。私もどうにかしたくて頑張って抱っこをしてみましたが、私がやっても全然ダメで、旦那じゃないと子どもたちが泣き止まなかったんです。旦那さんも疲労と睡眠不足が溜まってイライラしているし、自分もうまく子どものお世話ができない不甲斐なさを感じ、ケンカが増えた時期もありました。