中学3年生のときに脳出血を発症したしぶきさん。脳幹部にある血管奇形の一種「海綿状血管腫」によって、左顔面麻痺や右半身麻痺など、いくつか障がいが残りました。中学、高校時代は苦労を重ねますが、短大生になると友達にも恵まれ、さらに街で意外な人物と再会すると人生が変化して。(全3回中の2回)
同級生のSNSに映る青春写真が正直つらかった

── 中学3年生のときに脳出血を発症。脳幹部にある血管奇形の一種「海綿状血管腫」によって、左顔面麻痺や右半身麻痺など、いくつか障がいが残ったしぶきさん。中学卒業後は1年間の通院や療養をしたのち、同級生から1年遅れて高校に進学することに。高校には4本足の歩行器と車椅子を併用して通いました。
障がいを持つ前はもともと明るく元気で活発だったというしぶきさん。高校に入り、周りの同級生とうまくコミュニケーションをとることはできましたか?
しぶきさん:入学してしばらくは、みんなとなかなか打ち解けられなかったですね。お昼休みもひとりでお弁当を食べていました。担任の先生はみんなと仲良くなれるようにサポートはしてくれましたが、自分からうまく輪に入っていく勇気がなかったです。
病気を発症したときから相談相手になってもらっていた父の同級生の妹さんがいて、その方に「みんなとうまくコミュニケーションがとれない」と相談したんです。その方も過去に大病を経験されていたので、私の気持ちを理解してくれていたので。すると「周りからは声をかけにくいかもしれないから、自分からどんどん話しかけた方がいい」とアドバイスをくれました。
その言葉をもらってからは、自分からみんなに積極的に話しかけていきました。「自分は左に顔面麻痺があって、右半身にも体や足に障がいが残っています。でも、みんなと仲良くしていきたいし、楽しい高校生活を送りたいと思っています」といったことを伝えていきました。学校ではなるべく笑顔で話しかけることを続けたら、少しずつサポートしてくれる友達ができてきました。
── たとえばどんなことでしょう?
しぶきさん:たとえば、体操着の着替えに時間がかかってしまうのですが、待っていてくれたり。また、学校内にはエレベーターがあったのですが、ほかの生徒は階段で移動することになっていました。でも私とつき添いの友達は例外で許可をもらって、一緒にエレベーター移動についてきてくれたりもしました。場面場面で助けてもらったと思います。
── 友達が少しずつできてきましたが、高校生活でつらいと感じる場面はありましたか?
しぶきさん:当時からSNSを見ていましたが、休日にみんながプリクラを撮ったり、遊びに行ったりしている様子がアップされているのを見ると、正直つらいと感じることはよくありました。私は障がいがあるから休日に遊びにいくのも簡単ではなかったし、1、2人、仲のいい友達はいましたが、休日に頻繁に会うかというとそうでもなかったです。
障がいを持つ前にイメージしていた高校生活とはあまりにもかけ離れていたので、すごく苦しかったですね。つらくて学校を休むことも何度かありましたが、それでも自分のなかでは頑張って、高校を卒業しました。