2024年にピン芸人の登竜門『R-1グランプリ』で、アマチュア芸人としてファイナリストに残るという快挙を成し遂げた、どくさいスイッチ企画さん。漫画『ドラえもん』のひみつ道具「どくさいスイッチ」から「自分ひとりでも頑張っていくんだ」という意味を込めたという名の通り、事務所に所属せず、独自のやり方でお笑いと向き合っています。(全2回中の1回)
スポーツや集団行動は無理…落語の世界に可能性を感じ
── お笑いの世界に入るきっかけは落語だったと伺いました。どんな経緯でハマったのですか。
どくさいさん:まず、中学のときにバスケ部に入部したんですが、「スポーツは無理だ」って痛感したんです。それで、高校では演劇部に入部しました。でも、今度は「集団行動がつらい」って思ってしまって。人と協力するチームプレイが苦手なんです。「ひとりでできる文化的なことってなんだろう」を探し続けて、行き着いたのが落語でした。それで大学で落語研究会に入ったんです。やり始めたら、どんどん周りから評価され始めて。「そうか、僕に合っているのはこれだったんだ」って落語に打ち込むようになりました。

── 大阪大学在籍時代には受賞歴もあったそうですが、プロの道には進まず、就職してアマチュア落語家として活動していたそうですね。大学卒業後に事務所に入ろうとは考えなかったのですか?
どくさいさん:就職活動をしていたのが2009年で、ちょうどリーマンショックの影響もあり、なかなか内定がもらえなかったんです。まったく採用通知が来なくて焦るなか、どうにか1社だけ、内定をいただけて。当時は、それを辞退してまでお笑いの世界に行くのはどうなんだ?と考えてしまい…結局、就職を選びました。
そうして就職した会社で働きながら、趣味で落語を10年ほどやっていました。ところが、コロナ禍になって、人前で披露する落語会が開けなくなってしまったんです。そんな状況でも、感染症対策をしながらコントや漫才を披露する集会などは継続していたので、それに参加するようになりました。今思えば、コロナ禍でリモートワークが主流になったので、あいた時間でコントを始めた感覚でした。だからコロナ禍がなかったら、コントは始めていなかったと思います。
しかも、やってみたらすっかりコントにハマってしまって。2020年ごろから本格的に取り組み始めました。実は2011年から4年間は『R-1グランプリ』に出場していたんです。2014年に1回戦で敗退したため、これ以上続けても勝ち上がれないと判断し、一時は出場をあきらめました。でも、コントを始めたことがきっかけでもう一度挑戦したいと思い、2022年から再び『R-1グランプリ』にエントリーするようになりました。
── プロの芸人になることも視野に入れていたのですか?
どくさいさん:それはまったくなかったです。転職は考えていましたが、新卒で入社した会社を3年半で辞めて2社目で働いていたころだったので。当時は「プロの芸人になるよりも、おもしろいアマチュアでいたほうがいい」っていう考えだったんです。『R-1』に出場したときも優勝するつもりで臨みました。そのつもりで出ないと、ほかの出場者にも失礼だと思っていましたし。