父が複数のパートナーを持ち、6人の異母兄弟がいる、複雑な家庭で育ったYunaさん。6歳まで北京、10歳まで日本、その後は母と妹の3人でハワイに移住すると、裕福だった家庭が一変します。そして、母に長年抱いていた思いが爆発し── 。(全3回中の2回)
ハワイへの移住で裕福な暮らしが一変した

── 父親が複数のパートナーを持ち、6人の異母兄弟がいる。そんな複雑な家庭環境で幼少期を過ごした人気インフルエンサーのYunaさん。10歳まで日本と北京で暮らし、その後、母と妹の3人でハワイに移住。その後、生活は大きく変わり、20歳で母と絶縁を経験したといいます。そもそも、ハワイに渡ったきっかけから伺ってもよいでしょうか?
Yunaさん:母が、父との生活に限界を感じたことが最大の理由です。日本にいたころは、父も週に1度は帰ってきていましたが、6歳で北京に移ってからは顔を合わせるのも3か月に1度あるかないか。ふたりの仲は目に見えて悪くなりました。母は父との関係を断って自立するため、祖父母や親族がいるハワイへ私と妹を連れて移住しました。
── 移住後の暮らしは、どのようなものだったのでしょうか。
Yunaさん:それまで住み込みのお手伝いさんがいるお屋敷のような家で裕福に暮らしていたので、生活は一変しました。母の収入だけではやっていけず、生活保護を受けながら、20平米ほどの1Kで暮らしていました。
── 劇的な環境の変化だったのですね。戸惑いは大きかったのでは?
Yunaさん:意外とそうでもなかったんです。「いずれ貧乏になるかも」と母はよく言っていたので、私もある程度、覚悟をしていて、裕福な生活に執着していませんでした。
ただ、母にとっては衝撃が大きかったようです。それまですべてお手伝いさん任せだったのに、自分で働かなくてはいけないという現実にプライドが傷ついたらしく、初出勤の夜には泣き崩れていたことを覚えています。子どもながらに「なぜ泣くんだろう」と思いながらも、なぐさめるしかありませんでした。お金のことを逐一報告されるたび、「今月、家賃が払えるのかな」と不安になることもありました。
── 甘えることより、支えることを優先しなければいけなかった。わずか10歳の子どもが背負うには、重すぎる現実ですね。
Yunaさん:妹も不安定で、毎晩、私に抱きついて眠っていました。母が頼りにならないぶん、妹は私に心のよりどころを求めていたのでしょう。「お母さんと妹を守らなくちゃ」と思う気持ちが強くなり、自分の感情を表に出さなくなっていました。家は居心地のいい空間ではありませんでしたね。