いじめはなくなったが、代償は大きかった

── 独自のサバイブ術とは、どんな方法だったのですか?

 

Yunaさん:当時、日本の文房具は中国では珍しく、とても人気があったんです。私をいじめていた子たちも「どこで買ったの?」と興味を示してくるので、それを利用して「ポイントカード制度」を作りました。文房具を貸す代わりにスタンプを押して、ポイントがたまると貸し出す文房具のランクを変えていくんです。スタンプが少ない子には3軍のペンしか貸さないけれど、ポイントが増えれば選べる文房具も増えていくという仕組みにしました。

 

すると、クラス中がスタンプ集めに夢中になって、みんなが私と仲良くなろうとしてきたんです。いつの間にか力関係が生まれ、私はクラスのボスのような存在になりました。おかげでいじめはなくなって、そこから学校生活がグッと快適になったんです。

 

── 厳しい状況のなか、生き抜くための処世術であったのでしょうけれど、子ども時代の友達づくりとしては、いびつな形にも感じられます。利害関係なしで人間関係が築けるはずの貴重な時期に「支配することでつながる」という方法を選ばざるを得なかったのは、なんだかせつないですね。

 

Yunaさん:そうですね。居場所ができたといっても、心から安心できる場所ではありませんでした。振り返っても、人との関係をどこかゆがんだ形で築いてしまっていたと思います。それは、その後のハワイでの学生生活でもずっと続いていました。

 

でも、そうでもしないと自分の居場所を作れないという危機感のようなものが常にありました。「誰にも甘えない」「感情を見せない」という姿勢が無意識のうちに根づいてしまった気がします。子ども時代に培ったたくましさは、その後の人生を支える土台となりましたが、いっぽうで大きな壁にもなりました。

 

もし母が「大変だったね」と話を聞いて抱きしめてくれるような人だったらと考えることもあります。でも、私にはそれが許される場所がありませんでした。だからこそ、居場所を築こうともがいた結果、「コントロールする立場にいないと安心してつながれない」といったやり方を選んでしまったのだと思います。

 

ずっと蓋をしてきた思いに向き合えるようになったのは、本当に最近になってからです。昨年、書籍『北京・ハワイ・LAに移住してたどりついた どんな逆境もホームにする生き方』を執筆したことで、心の奥にしまっていた感情をデトックスでき、ようやく心が満たされたと実感できました。「愛されたいと願ってもいい」「ありのままの自分でいい」と思えるようになったことで生きることがラクになりました。

 

 

10歳のとき母と妹の3人でハワイに移り住んでからは、母との関係も次第に悪化していったというYunaさん。大学受験の進路をめぐり溝が次第に深まり、最終的には絶縁状態に。7年間、連絡を絶っていたそうです。その親子関係が雪解けたのはつい最近のこと。Yunaさん自身が自立できたことで「私はもう幸せで、心が満たされている」と心から感じられたことがきっかけで、母を許すことができたそうです。

 

取材・文/西尾英子 写真提供/Yuna