「父には複数のパートナーがいて、異母兄弟が6人いる」と語るYunaさん。日本、中国、アメリカと3か国で生活した経験をもち、YouTubeでは登録者数39万人を誇るインフルエンサーですが、その複雑な家庭環境ゆえに、とてもいびつな学校生活を過ごすことになります。(全3回中の1回)

異母兄弟が6人もいる複雑な環境で育ち

Yuna
あぐらをかくだけでもさまになるYunaさん

── YouTubeチャンネル登録者数約35万人を誇る人気インフルエンサーのYunaさん。日本、中国、アメリカと3か国で生活した経験を持ち、現在は自身のアパレルブランドを手がけるなど、多岐にわたる活躍をされています。SNSでの明るくポジティブな印象とは裏腹に、複雑な家庭環境で育ち、波乱の人生を歩んでこられたそうですね。幼少期は日本で過ごされていたんですよね?

 

Yunaさん:はい。6歳まで東京で暮らしていました。その後は中国・北京に移り住み、両親の離別に伴い、10歳で母と妹の3人でハワイに移住しました。大学卒業後はロサンゼルスで働き、昨年、日本に戻ってきたところです。両親は中国人ですが、私はアメリカ国籍なので、中国系アメリカ人になります。

 

──「父親に複数のパートナーがいて、異母兄弟が6人いる」という複雑な環境だったそうですね。当時の暮らしは、どんな様子だったのでしょう?

 

Yunaさん:父が家に帰ってくるのは週1回あるかないかでした。母は、私が幼いころに父に複数のパートナーや異母兄弟がいることを知ったようです。私もそれを聞かされていたので「お父さんは自分ひとりのものじゃない」という感覚がありました。腹違いの姉や妹と遊んだこともあり、それが特別な状況だとは思いませんでした。

 

「寂しかったでしょう?」とよく聞かれますが、私にとってはそれが「日常」だったので、疑問を感じることもなかったんです。ただ、小学校に入り、クラスのみんなが父の日を祝うのを見て「うちはほかの家と違うのかも」と気づきました。それでも「うちはそういう家なんだな」と、子どもながらに受け止めていましたね。寂しさや悲しみの感情は、もしかしたらあったのかもしれません。でも、それを感じないように心に蓋をしていたんだと思います。

 

── お父さんはどんな方だったのですか?

 

Yunaさん:いくつも事業を手がけ、ビジネスで大きな成功を収めていました。頭が切れて、ひと言で場の空気を変えるようなカリスマ性のある人でしたね。家はかなり裕福で、北京では住み込みのお手伝いさんがいて、お屋敷のような家に住んでいました。父が帰ってきたときは、おもしろい話をたくさん聞かせてくれたので、幼少期はどちらかというと好意的に見ていました。花火をしたり、肩車をしてもらった記憶もあります。