不妊治療の末、2人の子どもを授かった高畑百合子アナ。高齢出産は予想外の連続で、産後も体の不調が続いたため、追い詰められて泣きながら家を飛び出したこともありました。今年の4月に職場復帰したいま、子育てと仕事の両立に戸惑いながらもがいている最中だといいます。(全3回中の3回)

キャベツの食べすぎかと思ったら陣痛だった

高畑百合子
1人目出産。腕の中に自分の赤ちゃんがいることがまだ信じられず、夢の中のような感覚だった

── つらい不妊治療を乗り越え、40歳で妊娠されました。妊娠中は赤ちゃんがちゃんと育つか不安を抱えつつも、無事に妊娠後期を迎えられたそうですね。その後、出産は、スムーズに進んだのでしょうか?

 

高畑さん:出産に関しては産後の負担を考え、無痛分娩院を予約していました。出産予定日の1か月ほど前、ものすごくお腹が張って痛くなりましたが、食べすぎによる腹痛だと思ったんです。まだ生まれてこないと思いましたし、その前日、とんかつを食べに行っていてキャベツをたくさんおかわりしていたので、そのせいだと決めつけていて。でも、何度トイレに行ってもよくならず、いちおう病院に電話をしたら「すぐに来てください」と。診察してもらうと「明日には生まれちゃうね、これは」と言われて、そこで初めてキャベツじゃなかったんだとわかりました。

 

── 食べすぎだと思っていたお腹の痛みは陣痛だったんですか!?

 

高畑さん:そうなんです。その日のうちに入院して、無痛分娩のための麻酔薬を背中から入れ始めました。モニターには子宮の収縮を示す数値が出ていましたが、「子宮口が全然開いてないね」と医師からは言われました。翌日になっても子宮口は開かず、そのうち胎児の心拍を示すモニターからアラームが鳴り始め「心拍が下がり始めて危険な状態だから、帝王切開に切り替えます。10分後にお腹を切ります」と。すぐに帝王切開用の麻酔に切り替えて手術台に乗り、10分後には長男がポンと出てきました。

 

── 想像していた出産とは違ったでしょうか?

 

高畑さん:全然違いました。ドラマで見るような出産シーンを想像していましたが、慌ただしい雰囲気のなか、下半身が見えなくなるシートがつけられたと思ったら急にお腹を切る感覚がして、子どもが生まれてきて…心の整理がすぐにはつきませんでした。出産はまだ先だと思っていたし、経腟分娩だと思っていたし、腹痛はキャベツのせいだと思っていて…何もかもがくつがえされました。

産後半年はボロ雑巾のような状態だった

高畑百合子
夫が代表を務めるブラジリアン柔術の道場で長男をあやす高畑さん

── 育児がスタートしてからは、いかがでしたか?

 

高畑さん:育児そのものより、帝王切開手術の痛みが2週間ほど続いたのが大変でした。本当に痛くて痛くて、スムーズに立ち上がれない、トイレもままならない、赤ちゃんを抱っこするのもつらいという状態でした。赤ちゃんのお世話も痛みに耐えながら必死でこなしていて、痛みがなくなってから徐々に、赤ちゃんへの愛おしさがわいてきたような気がします。

 

── 1人目が帝王切開だと、2人目の出産も帝王切開になりますよね。

 

高畑さん:はい。2人目も帝王切開で産みました。1人目の帝王切開後があまりに痛かったので、もう一度あの痛みがくるのか…という恐怖はありました。医師には、とにかく術後痛くないようにしてほしいとお願いして、強い痛み止めを処方してもらいました。そしたら今度は、痛みはましになったのですが、大量の薬を使った影響もあったのか40歳過ぎての出産だったからか…半年くらいは倦怠感が続きました。「ボロ雑巾のような」という表現がぴったりくるくらい、ヨレヨレで動けませんでした。

 

── ご長男が1歳半のころに第2子の出産だったので、お世話も大変ですよね。

 

高畑さん:はい。長男は動けるようになっているので目が離せません。まだ言葉もままならないし、赤ちゃんがやってきて不安そうだったので、すごく気をつかっていました。そのうえ体がしんどいので、生まれたての赤ちゃんを手ばなしでかわいいと感じる余裕がないんですよね。ホルモンバランスも安定しなくて、追い詰められて感情が爆発することがありました。