義母にはまさかのサプライズ報告

── 決断が早い!両家の親御さんにはいつ報告したのですか?
高畑さん:私の母には婚姻届けの証人になってほしいと伝えました。急で驚いてはいましたが、サインをしてくれました。お義母さまには、事後承諾でした。というのも、彼のお母さまはそのとき、シニア海外協力隊の一員としてブラジルに行っていたのです。しかも彼の家は家族それぞれが自立しているからといって「後で知らせれば大丈夫だよ。そういう家だし、サプライズにしたい」と彼が言うんです。
「そうは言っても、電話くらいしたほうがいいんじゃない?」と何度も聞いたのですが、かたくなにサプライズ報告にしようとしていて。結局、義母が結婚のことを知ったのは、私たちの結婚がニュースになったのを親戚が聞き、義母に知らせたという遠回りなルートからでした。義母は、息子が結婚したことも、相手がアナウンサーだということも、そこで初めて知ったと聞きました。
── なるほど。いろいろなご家庭があるのですね。
高畑さん:でもとても喜んでくださったようで、SNSに思いを綴ってくださったと夫が知らせてくれました。そこには息子が結婚したこと、どのように息子を育てたかということ、大学生のころ左足を切断するほどの事故にあったことなどが書かれていて、「きっと結婚相手を大切にすると思う」というメッセージがありました。「直接、言わなくてもわかり合えているご家族なんだ、私も受け入れられたんだ」と感じましたね。担当番組の本番前にそれを読んだので、涙を止めるのが大変でした。直接お会いできたのは結婚から半年後、義母が一時帰国したときのことです。
── お義母さんとしては、息子さんが足を失うという経験をしているため、いろいろな思いがあったのでしょうね。
高畑さん:そうかもしれません。ただ、私のなかでは、彼の足がないことは何の垣根にもならなかったんです。もちろん高校生時代のスポーツ万能ではつらつと活躍している彼を知っているから、足を失うということがどれほどつらかっただろうとは思うのですが、彼自身がそのことをまったく気にしていないように見えるんです。真の強さを持ったかっこいい人だな、と感じて、そこにほれました。また私は長年、仕事でパラリンピックに携わってきたので、障がいがある方と触れ合う機会が一般の方よりは多かったことも垣根のなさにつながったかもしれません。
── 堀江選手はそのころ、東京パラリンピックを目指してトレーニング中だったということですよね。
高畑さん:はい。もともと企画していた密着取材も進めていました。でもすぐにコロナ禍に突入してしまって東京パラリンピックの延期が決定。結果的にカヌー選手としての堀江の出場は叶わず、私のキャスターとしての仕事もなくなってしまいました。
── 堀江選手はカヌーだけでなく、車いすバスケットボールやパラアイスホッケーなど、さまざまなパラリンピックスポーツに挑戦し、現在はブラジリアン柔術の道場を開いていらっしゃいます。活躍の場をみずから切り開いていく姿を間近で見るようになり、ご自身にも影響や変化はありますか?
高畑さん:フットワークが軽いのはいいことだな、と憧れます。私はわりとひとつのことを深く掘り下げたいので、準備に時間をかけてかっちり決めた通りに物事を進めたい性格なのですが、夫は「やってみよう!」と飛び込むスピードがすごく早くて、行動が軽やか。昭和っぽい「闘魂一直線」タイプの私に対して、彼は無理にひとつに絞ることなく「そのときやりたいことをやればいい」という考え方。自分が持っていない魅力を持っている人だと思います。
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お互い子どもがほしいと結婚してすぐに妊娠しますが、2度の流産を経験した高畑さん。体質的には「不妊」ではないという葛藤を抱えながらも不妊治療を受けることを決意します。その結果、無事にお子さんを授かりました。いまは仕事をしながら、2人の子どもを持つ母としても奮闘中です。
取材・文/富田夏子 写真提供/高畑百合子