大学生を卒業して1年後。テレビにバンバン出て、月収も3桁は当たり前。さすがに浮かれてもしかたないところですが、「ラッスンゴレライ」で一世を風靡した、お笑い芸人の8.6秒バズーカー・はまやねんさんは冷静に日々を過ごしていたようで。(全3回中の1回)
1年目から大ブレイク「すぐテレビ出れるやん」
── お笑いコンビ「8.6秒バズーカー」として活躍したはまやねんさんですが、いつごろから芸人を目指していたんですか?
はまやねんさん:じつは安易な考えで芸人になったんです。「簡単に稼げるやろな」みたいな。 中学生の同級生だった相方が「芸人になりたい」と言っていて、卒業文集にも「僕は有名になってみんなを笑顔にします」みたいに書いてたんです。でも、僕自身はそこまでなりたかったわけじゃなくて。 中学卒業後は、ずっと相方と会っていなかったんです。成人式で再会したんですが、その場のノリで「俺ら、おもろいよな」みたいな感じで、またつるむようになって。
大学4回生のときに、「就職せなあかん、でもサラリーマンにはなりたくないな」と。それでいちばん楽しくて、早く稼げるのは何か?みたいに思ったら「芸人やろう」と。 相方に話したら「ありやな。人生1回しかないし」となって。相方は「全国区になるには東京やろ」と言ってたんですけど、でも僕、東京に行きたくなかったんです。

── どうしてですか?
はまやねんさん:なんか怖いじゃないですか、東京。 バナナマンさんと、さまぁ~ずさんがめっちゃ好きなんで、ホンマはホリプロに行きたかったんですよ。でも、東京には行きたくなかったんで、僕が勝手に大阪のNSCに願書を出したんです(笑)。 それで相方に「もう大阪のNSCに願書出してもうたわ」と言ったら、相方は「マジかよ」となったんですけど、「それやったらNSCに願書出すわ」となって。それでNSCに行った感じですね。
── 1年目からのブレイクでしたね。
はまやねんさん:そうですね。NSCはランキングシステムがあって、それで劇場の出番が決まったりもするんですが、わりとトントン拍子で上のクラスに行けて。それで、大阪の番組にちょくちょく呼ばれるようになりました。 あるとき、『オサレもん』(フジテレビ系)という深夜番組のオーディションに行ったら、スタッフさんから「君らは売れるから、番組出てください」と言われて、初めて全国区のテレビ番組に出させてもらいました。デビューした年の秋ごろですね。
── ご自身ではどう思っていたんですか?すぐにテレビに出られて、簡単だなといった思いもありましたか?
はまやねんさん:まあ、ちょろいなとは思ってました(笑)。「すぐテレビ出れるやん」みたいな。全国的な人気を得るターニングポイントになったのは、『おもしろ荘』(『ぐるぐるナインティナイン』のいちコーナー)が放送されたときやと思います。放送後はライブに出ても、僕らが出たら満席になったりして。その年の年末から、毎日、ライブの出演予定が入るようになりました。僕的には「バイトできひんやん。金ないねんけど」みたいな(笑)。ライブだけでは大して稼げないんで。