重度知的障がいを伴う自閉スペクトラム症の娘、ゆいなさんを、明るくポジティブに支え続ける蓬郷(とまごう)由希絵さん。育児の様子をSNSで配信し、18万人越のフォロワーをもつ人気インフルエンサーとしても活躍しています。しかし、ゆいなさんが小学校に就学した後は、「次から次へと課題が山積み」だったそうです。(全3回中の2回)
「不安にならないよう」行事ごとに事前準備を徹底

── 自閉症という診断を受けたころのゆいなさんは、蓬郷さんからの言葉をまったく理解できず、危険を認知できずに高い場所に登ってしまったり、「車の中では座席に座る」などの基本的な動作をとることすら難しいときもあったそうです。しかし、障がいがある子どもの支援を行う「療育」を親子で受け始め、暮らしの随所に、ゆいなさんが「理解しやすくするための工夫」を取り入れてからは、生活の中での「できること」が増えていったと伺っていました。その後の小学校生活は、いかがでしたか?
蓬郷さん:自閉スペクトラム症は、言語発達に遅れが見られる子が多いと言われていますが、ゆいなの場合は、小学校に上がった時点で、「ごはん、たべる」などの2語文が出るかどうかでした。頭の中は2、3歳程度で、言葉でのやり取りはまだ難しい状態で…。小学校では、障がいのある子への支援を行いながら授業を展開してくれる「特別支援学級」が設置されており、ゆいなはそのクラスに通っていました。とはいえ、ゆいなのように重度の知的障がいを伴う子は在籍しておらず、ほかの子と同じようにできないことがほとんど。課題は山積みで、授業や宿題、学校行事に対応するために、日々対応に追われていました。
── 具体的には、どのような対応を行ったのですか?
蓬郷さん:宿題をゆいなが理解できるレベルにしてもらうように先生と相談したり、体育の着替えをスムーズにできるように家で練習したり…あらゆることに確認と練習が必要でした。
ゆいなは、「みんながやっていることを同じようにやりたい」という協調性の気持ちが強いいっぽうで、「私もみんなと同じことができているはず」というプライドの高さも併せ持っています。その気持ちを尊重するため、私はひたすら裏方に徹し、ゆいなの「できる」を実現するためのサポートに専念。運動会などの学校行事のときには、数週間前から先生と連絡を取り合って、演目のダンスを自宅で練習したり、リレーのコースを間違わずに走れるように、学校に行ってゆいなと一緒に「どこを走ればいいか」の確認を進めていました。ときには「めんどうくさいな」と感じることがありましたが、ゆいなの「できた!」という、うれしそうな表情を見ると「次も頑張ろう」と気持ちを切り替えることができたんです。

── ゆいなさんの成功体験の裏側には、蓬郷さんの並々ならぬ努力があったのですね。
蓬郷さん:小学校6年生の、修学旅行のときは特に大変でした。ゆいなの学年は、広島県の宮島が旅先に決まっていたのですが、「行ったことのない場所」に「親のつき添いなし」で行けるようにするための準備で大忙し。「今どの工程にいるのか」「次はどこに行くのか」がひと目で理解できるように、写真つきのしおりを独自に作り、ゆいなと一緒に何度も確認を行いました。
また、お土産の買い方や、ホテルの大浴場での入浴の仕方にも準備と練習が必要でした。現地で配られるお弁当についても同様です。ゆいなは「食べたことのないおかず」は拒否して口にしないため、あらかじめ配られるお弁当の内容をリサーチし、家で同じおかずを作って「こんな味がするんだよ」と慣れさせる練習をして当日に臨みました。
修学旅行の工程を無事に終え、「みんなと同じお弁当を完食できたよ」と帰ってきたときには、思わず涙があふれました。