舞台で演じた「侍役」に手ごたえを感じた

── 俳優としてもご活躍です。

 

副島さん:芸能活動の大きな転機が『あさイチ』なのはたしかですが、この世界で仕事を続けよう、と決意させてくれたのは2009年の舞台『パンク侍、切られて候』なんです。『あさイチ』以前の、まだ何者でもない僕が初めて舞台に出演させてもらい、そうそうたる出演者のみなさんと共演させてもらいました。

 

しかも日本人の侍役で、自分のような見た目でも、舞台の上だったら自由だしいろんな可能性があるんだと気づかせてもらえた現場でした。それまではモデルやCMなどとにかくいろんなオーディションを受けていたのですが、初舞台後は「舞台の仕事がしたい」と初めて自分で主体的に仕事を取りに行くようになりました。

 

── 自分で売り込みを始めたということですか?

 

副島さん:そうです。お酒を飲むのが好きなので、先輩俳優に舞台仲間の集まりに連れて行ってもらって出演交渉したり、向こうから声をかけてもらったりしました。事務所の協力もあり人脈が広がって、少しずつテレビにも出られるようになりました。TBSのクイズ番組『日立 世界・ふしぎ発見!』では、最初はスタジオ出演だったのですが、そのうちミステリーハンターとしてロケに行くようになり、ロケの楽しさに目覚めました。学生時代のバスケットボールや芸能界に入ったきっかけもそうですが、最初からやりたいことや夢があるというより、体験してみておもしろいと思って興味を持つパターンが多いですよね。

 

── 現在の活躍について、お母さんはどんな反応ですか?

 

副島さん:母は、表立って応援するタイプではないですが、何かやりたいと言ったときに反対されたことはないです。バスケットボールをやりたい、芸能界に入りたい、と言ったときも、「どうぞ」という感じで。ただ、芸能の仕事を始めてから知ったことなんですが、母は昔から観劇が好きだったようです。なので、舞台に出演するときは必ず観に来てくれます。

 

── いじめにあっていた小学生のころ、お母さんが「いつか自分が生まれてきてよかったと思うときが来る」「クラスの隅っこにいても、何をしても目立つんだから、お前は特別な存在なんだよ」という言葉をかけてくれたそうですね。その言葉が現在の副島さんの活躍につながっていると感じます。

 

副島さん:本当にそうなんですよね。いま思うと、母は僕の性格をわかっていて、一緒に泣いてなぐさめるよりはポジティブな声かけをしたほうがいいと思ったんでしょうね。本当は明るい子だったのが、いじめによって自分らしさがなくなり歯車が狂ってしまったけれど、バスケットボールを始めてから歯車がだんだん元に戻ってきて、芸能界に入ってからカチッと合ったような気がします。

 

 

活躍の場が増えるなか、テレビ番組の企画で生まれたときから一度も会ったことがない父親を探すことになった副島さん。その結果、異母兄が中学校時代から憧れていた元プロバスケットボール選手で日本代表も務めた高橋マイケル選手であることが判明したそうです。高橋マイケル選手のご好意で父の写真を見せてもらったときは、名前も顔も知らなかった父の姿がはっきりし、自分でも驚くほど号泣したそう。そんな副島さん自身も、今では1児の父。父親としての接し方はわからないけれど、見守りながら必要なときにサポートする存在でありたいと語ってくれました。


取材・文/富田夏子 写真提供/副島 淳