小学生のころいじめにあっていたことを明かしているタレントの副島淳さん。中学校でバスケットボールに出会ったことでその後の人生が変わり、芸能界入りもバスケットボールがきっかけでした。下積み生活が続いた20代の終わり、ある番組のオーディションが現在の活躍につながります。(全3回中の2回)

 

※本記事は「自殺」に関する描写が出てきます。体調によっては、ご自身の心身に影響を与える可能性がありますので、閲覧する際はご注意ください。

バスケに「逃げ込んで」自分らしさを取り戻した

副島淳
酷いいじめに耐えていた小学生のころ

── 小学校4年生から、ミックスルーツ(ハーフ)の目立つ見た目をいじられるいじめが始まり、どんどんエスカレートしていったそうですね。一時は屋上から飛び降りることを考えるほど追い詰められたそうですが、中学生になってから環境は変わりましたか?

 

副島さん:そうですね。中学になると2つの小学校の生徒が一緒になり、環境は新しくなりました。そこでバスケ部に「逃げ込んだ」のが、いじめから逃れられたきっかけかもしれません。バスケットボール部には小学生のころに僕をいじめていた子はいませんでしたし、先輩方も優しかったので、バスケ部だったら3年間やり過ごそせうというという考えでした。でも、結果的にバスケットボールとの出会いがその後の自分を変えてくれたんです。

 

── どのような変化があったのでしょうか?

 

副島さん:部活動を通じて周囲とのコミュニケーションの取り方や友だちとの楽しみ方を思い出させてもらえたのが大きいです。小学校低学年までは明るい子だったので、そのころに戻ったような感覚です。たとえば「副島って黒いよな」といった身体的な特徴をいじられても、「ごめん、昨日、日サロ(日焼けサロン)で寝すぎちゃって!」といった返しができるようになり、そういうキャラだとおもしろがってもらえるようになりました。バスケットボールの技術的なことは、中学2年生のときに他校の強豪バスケ部顧問だった先生が異動してきて、そこで徹底的に鍛えられました。

 

── どんな先生だったのですか?

 

副島さん:ものすごく熱く、厳しい方でした。でもそのおかげで、人間的にも成長させてもらったと感謝しています。僕はそれまで学校生活で自分の意見を出すことを避けてきたのですが、「自分の意見を伝えないとバスケで強くなれないぞ」と言ってくれたのは先生ですし、いじめの経験から卑屈になっていた僕に、人との対等な関係の築き方を教えてくれました。生徒の内側までグッと一歩踏み込んでつき合ってくれた大人として、新鮮でした。

 

── バスケットボールの技術も上達されたのですか?

 

副島さん:まったくの初心者からのスタートでしたが、中学3年間で身長が30cmも伸びたのと先生の指導があって、だんだん上達していきました。

 

そもそも入部したころは、勝つのが目的というよりは「楽しく和気あいあいとバスケしようぜ」という部活だったんです。それが、強豪校を指導してきた先生が急に来て結果を求められ、最初は「怖いから辞めようか」とみんなで言っていたくらいで。実際にみんなで「辞めたいです」とも言いに行ったのですが、聞き入れられないまま続けることになりました。

 

練習が急にハードになって、土日もトレーニングや試合で埋まり、180度生活が変わりました。本当にきつかったですけど、続けるうちに試合でも勝てるようになっていきました。その後、高校、大学とバスケットボールを続けていくことになったのも、中学で熱心な指導者と出会ったからです。