産後すぐに「ヒレステーキ大の卵巣嚢腫」を摘出

── 産後に疾患が判明したのですか?
吉川さん:そうなんです。妊娠中の妊婦健診でも、帝王切開のときも卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)があることはわかりませんでした。おそらく、卵巣嚢腫が大きすぎて、赤ちゃんのエコーには映りきらなかったのではないかと…。その後、手術日を決めて自宅で待機していたのですが、お腹が急に痛み出してしまって。病院で急いで検査してもらったところ、「卵管が捻れかけている」ということで、緊急手術することになりました。手術してわかったのですが、嚢腫は背中の方までいっていたそうです。切除してもらった嚢腫を見せてもらったのですが、1人前のヒレステーキくらいの大きさだったのでびっくりしました。
── 入院期間中は、小澤さんが赤ちゃんのお世話を?
吉川さん:手術のために5日間入院しましたが、その期間は夫が私の実家に滞在して、子どものお世話をしてくれました。入院中は、搾乳した母乳をパックに詰めて看護師さんに託し、夫が病院の受付まで取りに来る日々…。まさかの手術が続いて、あのときは体力的にも本当に大変でしたが、「卵巣嚢腫を取ってしまえば、2人目の妊娠も大丈夫」と先生から言われていたので、すぐに対応できてよかったなと感じています。
── 退院後は順調に回復されたのでしょうか?
吉川さん:はい。病院の先生からも「動いていたほうが治りが早い」と言われていたので、夫と両親にサポートしてもらいつつ、頑張って子どものお世話をしていました。
東京の自宅に戻ってからは、夫婦2人での育児が始まりましたが、夫が積極的に動いてくれたので助かりました。夜中の授乳で私が寝不足のときには、午前中に子どもを連れて散歩に出かけてくれたり、近くに住んでいる夫の両親の家に遊びに行ってくれたりしたので、仮眠の時間をとることもできてありがたかったです。
「売れっ子じゃなくてよかったね」なんて
── 小澤さんと協力しながら育児に取り組んだのですね。
吉川さん:そうですね。「一緒に育てている」という感覚があってとても心強かったです。特に子どもが生まれてからの夫は、私が「あれやって、これやって」と頼むよりも先に動いてくれるようになって。疲れているときも、休むことなく子どものお世話をしてくれていました。
当時、夫の仕事は少なく、家にいることが多かったのですが、私は夫が家にいてくれることに安心感を得ていたので、「売れっ子じゃなくてよかったね」なんて言い合ったりして(笑)。穏やかに育児を楽しんでいました。
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育児に奮闘していたある日、小澤さんから「芸人を辞めてもいいかな」という相談を受けた吉川さん。不安は感じつつも、「好きなことをしていいよ」と応援の姿勢を絶やしませんでした。芸人引退後、小澤さんは以前からアルバイトをしていた放課後等デイサービスで働き始めます。吉川さんは2人目を妊娠・出産。現在は、海に近い街で、夫婦それぞれの「得意」を活かしながら毎日、忙しい日々を送っています。
取材・文/佐藤有香 写真提供/吉川莉早