マサイ族の男性と結婚した永松真紀さん。ふたりで日本を訪れるたびに、「夫を見習いたい」と思う尊敬の気持ちが生まれるそうです。マサイ族の男性から見た日本とは──。(全2回中の2回)
結婚の決め手は「相手へのリスペクト」
── 永松さんはマサイ族の夫・ジャクソンさんと結婚して第二夫人になったそうですね。一夫多妻制はすぐに受け入れられましたか?
永松さん:夫と出会う前に10年ほどケニアで暮らしていて、一夫多妻制に関する話題はごく当たり前のこととして、日常的に耳にするものでした。

私たちは自分たちの意思で結婚しましたが、マサイ族は親が結婚を決めるケースが多くあります。第一夫人も、大恋愛の末に夫と結婚したわけではなく、小さいころから親同士が決めていたそうです。第一夫人は家族という感じで、お姉さんや妹、親友や友達という感じでもないですね。そういう感覚のなかではお互いにライバル視をしようとか、そういった感情はまったく生まれないので、うまくやっています。
それに、マサイ族のベタベタした男女関係を私は見たことがないので、やきもちの対象となることもまずないと思います。男性と女性は、まったく別の社会に属していて、役割が違います。男性は牧畜と家畜の世話をし、女性は家事や子育てが仕事。ある程度物事の分別ができるようになったら女の子はお母さんに、男の子はお父さんについて、仕事を学んでいきます。子ども同士でも、男女で遊ぶことはまずありません。
── マサイ族は、男女で仕事の役割がまったく違うとのことですが、永松さんは観光ガイドやコーディネーターの仕事を結婚後も続けられています。仕事については受け入れてもらえたのでしょうか。
永松さん:マサイ族はとにかく、相手にリスペクトをする民族です。結婚の話題になった際に、夫からも周りにいた長老たちからも言われたのは「我々は、あなたの生き方を尊重できる民族だ」ということでした。「あなたはマサイ族ではなく、日本人なのだから、日本人として大切なものがあるだろうし、結婚したからといってそれを壊す必要はない」と。「私は世界中を飛び回る仕事をしているので、あまり村にいられません」という話をしたら、「村には休みのときに帰ってくればいい。それ以外は日本人としてあなたが大切にしていることを大事にしてください」と言われました。
当時、私は37歳でバツイチでした。もっと若くて、相手のことが好きで好きで仕方ないという状況だったら別かもしれませんが、37歳の大人が自分らしさやこれまでしていた仕事を失ってまで結婚して、マサイ族の村で生活はできないと思います。夫や長老たちが「私の生き方を尊重する」と言ってくれたことは、大きな結婚の決め手になりました。
── 相手の生き方を尊重する、とても素敵です。ちなみに、夫のジャクソンさんとは何語で会話をしているのでしょうか。
永松さん:夫とはケニアの公用語であるスワヒリ語で話すのですが、マサイ族同士はマサイ語で話します。義父の方針で、夫のきょうだいのなかで、唯一教育を受けたのはいちばん上の兄だけなのですが、学校に行っていない夫がスワヒリ語を話せるのには理由があります。
親の歳の数ほど離れているいちばん上の兄が、村を出てホテルで働いていて、夫が7〜8歳くらいのころにラジオを買ってきてくれたそうなんです。ラジオではスワヒリ語の放送が流れていて、幼少期の夫はそれを熱心に聞いて育ちました。世界の出来事は、イギリスのBBCのスワヒリ語放送から知ったと言っていました。ラジオを家の外に持ち出してはいけないと親から言われていたそうなんですが、ラジオを聞きながら牛の放牧をしていたこともあったとか。夫は親から「マサイとして生きろ」と言われて育ったのですが、小さいころから、外のことにすごく興味があったようです。
── まさに、ガイドやコーディネーターとして世界の人と仕事をしている永松さんと話が合いそうですね。
永松さん:私の話に夫は興味があるので、お互いの意見交換をしながらよく話をします。私はマサイ族について夫から学ぶことがたくさんありますし、夫は私が村の外で経験した話を興味深く聞いてくれます。どんな話を聞いても、マサイ族として心がぶれない夫が尊敬できるなと感じます。