今から20年前にマサイ族の男性と結婚し、ケニアのマサイ族の村で暮らす永松真紀さん。ふたりの馴れ初めを伺うと、「運命の赤い糸」が本当にあるような気がしてなりません。(全2回中の1回)
初対面では「会話もなく」
── マサイ族の夫・ジャクソンさんと結婚し、ケニアにあるマサイ族の村で生活しているそうですね。出会いのきっかけについて教えてください。
永松さん:夫と出会う前に、ケニアで観光ガイドやコーディネーターの仕事を10年ほどしていました。ケニアの観光パンフレットやポスターには必ずと言っていいほど、アフリカの動物とマサイ族の村を見学するというツアーが載っています。

マサイ族はタンザニアとケニアの広い範囲で牧畜をして暮らしているのですが、観光客が訪れるマサイの村は、大きな道路から近いなど、アクセスがいい場所にあります。私はガイドとして、そういったマサイ族の村に観光客を案内することを仕事にしていました。
2003年に、「エウノト」という、日本でいう成人式のようなマサイ族の伝統儀式が行われるというのを知人から聞きました。こちらは観光用に一般公開しているものではなく、開かれるのも10年に1回ほど。その儀式にカメラマンと友人が取材で向かうと伺って、私も同行させてもらいました。取材の交渉の際に夫と出会ったのが始まりです。
── 初対面のジャクソンさんの印象はいかがでしたか。
永松さん:副リーダーをつとめていた当時の夫は本当に野生的で。ライオンか?人間か?というくらいの気迫を感じました。というのも、その儀式に参加するのは、10年ほどかけて森の中で修行をしてきた青年たちです。彼らはこの儀式を経て、青年から大人になるのですが、一般社会と分断された世界で、マサイ族として生きていくための家畜の知識や身体能力を強化してきているので、本当にワイルドでした。彼らのなかでも夫はひときわ野生的で。夫は儀式の準備で忙しかったので、その場で特に会話をすることはありませんでした。
──「エウノト」の儀式は何日も続くそうですね。ご覧になっていかがでしたか。
永松さん:1週間ほど、張りついて見学させてもらいました。1000人ほどの青年とその家族が参加するのですが、伝統衣装に身を包み、歌や儀式に臨む姿はもう「美しい」のひと言でした。青春時代である青年期を一緒に過ごした仲間と男泣きする姿も感動ものでした。
当時、私が住んでいたナイロビは、人口が多くて治安は悪く、人のことを蹴落とさないと生き残っていけないような、生存競争が厳しい世界でした。「田舎には現金収入が得られる仕事がない」ので出稼ぎのために田舎から大勢の人がどんどんやってきます。人生の成功は、いい車に乗るとか、物質的に豊かになることだという価値観の人も多かったです。もちろん、全員がそういうわけではありませんが、ケニアに長年住んで、嫌な面がだんだんと見えてきた時期でした。そのタイミングで、マサイ族の伝統儀式を目の当たりにしたことは、私にとって大きな衝撃でした。
── ちなみにですが、ケニアにおよそ50存在するという民族のなかでも、マサイ族が有名な理由はなぜだと思いますか。
永松さん:マサイ族が特に知られている理由は、伝統を絶やしていないことだと私は思います。マサイ族の伝統儀式を、ほかの民族の若者が見に来ていたのを見かけたのですが、彼らは欧米人と同じような洋服を着て、「まだこんなことやっているのか?遅れてるな」というような反応をしていたんです。そこには伝統儀式へのリスペクトはまったくありません。開発途上にある国ならではのことかもしれませんが、伝統を受け継いで真面目に取り組む姿を「ダサい」と思っているんですよね。その結果、多くの伝統が失われてしまうのだと思います。
マサイ族は、誰にどこで何と思われようと関係なく、自分たちに誇りを持って生きています。あの伝統儀式を見たあとから私には、「これは日本人に伝えていかなければならない」という使命感のようなものが生まれました。伝統文化を大事にする日本人ならばこの感覚をわかってくれると思いましたし、仕事に対する考え方がガラリと変わる大きな出来事でした。