「ある言葉を聞いて号泣」やっと心を解放できた

── 新卒で大手流通会社に入り、結婚後は会計事務所などで働いていたそうですが、現在の社労士という仕事に出合ったのはどのような経緯ですか?

 

岡田さん:きっかけは会計事務所で勤務中に、自分で勉強した年金知識を使ってお客さんの役に立ったことがあり、専門知識をさらに学んで多くの方々のために働きたいと考えたことです。

 

再婚後、社労士になろうと考え、夫も応援してくれるなか、受験勉強をしていました。ただ、夫の死などもあり、これまで10回受験して、最終的には合格したのは50歳のとき。何度かあきらめかけたなかで「最後になるかも」と考えた10回目は、母が「ここまでやったのだから、あきらめずに頑張りなさい」と、1年間の予備校代や受験費用を負担してくれて合格しました。

 

若いころは両親と同じ事務系の仕事ではなく、人と接する仕事をしたいと流通業に就職したのですが、いまは事務系の社労士の仕事に満足しています。社労士もお客さんと話をしますから、人と接することが好きな私の性格には合っていますね。

 

── 現在は社労士に加えて、グリーフケアの活動もしていますね。

 

岡田さん:2度の死別経験を誰かのためにいかしたいと考え、家族や友人に相談すると「ぜひやるべき」と、背中を押されました。そこで、どんな関わり方ができるかを調べるうちに、死別などの悲しみや喪失感に苦しむ人が立ち直り、自立し、希望を持って生きていけるようにサポートする「グリーフケア」活動に出会いました。

 

3年前から学びはじめ、現在はグリーフケア・アドバイザーの資格をとって、私の体験を話して共有したり、死別経験者同士の交流会を企画したりしながら活動しています。社労士として、死後の行政書類提出の手続きなどでサポートしながら、グリーフケアで死別の悲しみを聞き、立ち直るまで寄り添い伴走するという組み合わせも行っています。グリーフケアを学んでいたとき、私自身、大きな発見と変化に出合いました。ある日のオンライン講座中、講師自身が大病をした経験を話してくれました。彼女は当時を思い出して「自分が死ぬのはどうにもできないけれど、残された家族のことを考えると切なかった」と、語りました。

 

岡田和美
人生のさまざまな出来事やキャリアについて話し合うことも

その言葉で、彼女が残される家族に深く思いを馳せていたことが伝わってきました。私の夫もきっと同じように、私たち家族のことを考えてくれたに違いありません。そう考えると同時に30数年前の最初の夫の死の瞬間を鮮烈に思い出し、それまでふたをしていた感情があふれ出して、「ウワーッ」と、号泣してしまいました。だいぶ長い間泣いてしまいましたが、グリーフケア講座の仲間同士だったので、みな、あたたかい目で見守ってくれました。あの日、思いきり泣くことができて、やっと心が解放された気がします。