夫の闘病がトラウマで「母の見舞いに行けなくて」

── グリーフケアを学び、ご自身も変化したのですね。ほかに発見はありましたか?

 

岡田さん:じつは、4か月前に母の死を経験しました。母はまだ元気だったので、ちょっと入院するつもりでしたが、肺炎をこじらせて亡くなりました。その際、最初の夫が急性白血病から最後は肺炎で苦しんで亡くなったのを鮮明に思い出し、つらい気持ちになりました。姉から母の病室の写真が送られてきて、最初の夫の闘病の記憶がフラッシュバックして。母のお見舞いに行きたいけれど行くのは苦しいと、寝込むほど悩んだんです。

 

結局、自宅のある大阪から母の病院がある岡山駅まで頑張って行きましたが、ホームから一歩も動けなくて。「お母さん、ごめん、私、ムリやわ」と心の中で詫びて、そのまま自宅へ戻ってしまいました。亡くなる前日に母が枕元に立っていたような気がして、「母はわかってくれたのかも」と、少しホッとしました。このフラッシュバックを経験して、「グリーフ(感情)は解放できても、つらい思い出(事実)は消えない」ということも、身をもって知りました。これは母がその死を通して私に教えてくれたことであり、母に感謝しています。

 

── つらい経験を語ってくださり、ありがとうございます。お母さんが亡くなった後は、どのような心の変化がありましたか?

 

岡田さん:私は外出して人と会うのが好きなタイプですが、母の死後3か月間は人と会ったり、外出したりする予定をいっさい入れず、母の死を受容することに集中しました。じつは社労士として母の書類の手続きをすべてするはずが、最初の1か月間はつらくて書類すら見ることができませんでした。

 

グリーフケアでは、大切な人を亡くした後、残された人は「(1)ショック期→(2)喪失期→(3)閉じこもり期→(4)癒やし・再生期」という段階をたどると考えられています。学んだ知識を用いて、「自分はいま閉じこもりの段階にいるから、疎外感を感じる反応が心の中で起きているのだな」など、自分を俯瞰して見つめ、大きく心身の不調をこじらせることなく感情の整理ができた気がします。

 

── 学んだグリーフケアが、ご自身を支えてくれたのですね。肉親との別れ、親しい友人の死を誰もがいずれは経験します。どのような向き合い方があるのでしょうか?

 

岡田さん:グリーフケアを学ぶのもひとつの方法ですが、ひとりで抱え込まず、誰かに話を聞いてもらうのはよいと思います。もし、終末期医療を受けていて死期が迫っていることが予測できる方が身近にいたとして、自分が看取る立場なら、病院が家族の精神的サポートの相談先を紹介してくれることもあります。死別後に苦しい思いを抱えている場合は、自治体や民間による当事者の集まりに参加したり、専門カウンセラーに相談したりするのも選択肢のひとつです。悲しみへの向き合い方や、本人が納得できる回復までの道のりは人それぞれです。

 

とくに配偶者を亡くした場合は悲しみを整理し、ふだん通りの生活ができるほどの回復まで、平均5〜7年かかると言われています。私への相談で「2週間前に夫を亡くしたけれど、子どもの世話や生活に追われて、涙も出ない。ふつうに仕事へ行っている私は、おかしいですか?」と、悩みを打ち明けてくださる方もいました。この方は、かつての私のように深い悲しみを表に出す機会もなく、日常に追われていることに気づいていないのかもしれません。

 

死別による大きな喪失感の前では、自分を客観視しづらいものです。このように自分の置かれた状況や反応に迷い、悩む人がじつはたくさんいることを広く知ってもらいたいです。そして死別後、苦しんでいる方がいれば、相談先やサポート活動をする人たちに頼ってもらえればと思います。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/岡田和美、野田涼・soar