夫に先立たれ、再婚するも再び死別を経験する。計り知れないショックから立ち直れたのは友人のある気づかいでした。現在は社労士の試験に合格し、グリーフケア活動にも励む岡田和美さん。喪失感やその受け止め方について聞きました。(全2回中の2回)
どんな言葉よりも救われたのは
── 大阪で社会保険労務士(以下、社労士)をしながら、大切な人を失った人に寄り添い、回復を支援するグリーフケアの活動に力を入れている岡田和美さん。ご自身は、10数年の間に2度、配偶者の死を経験しています。最初は長女が1歳、2度目は長女が高1になり小1の第二子が残されました。配偶者を突然なくし、ご自身の体調や気持ちにどのような変化がありましたか?
岡田さん:最初の夫は急性白血病で闘病していたので、ある程度、亡くなるまでに時間があり、私自身も覚悟ができました。しかし、再婚相手はくも膜下出血による突然の別れ。2度目の別れの後は食欲がなくなり、体重が5〜6キロ落ちて38キロになりました。さらに翌年には甲状腺に腫瘍が見つかり、手術を受けました。さいわい良性でしたが、心身ともに大きな影響を受けていたのかもしれません。
お葬式後もしばらくはほとんど地に足がついていない、心あらずの状態でしたが、PTAの役員をしていたので、学校での会議には参加していたんです。そうしたら「こんなときに、会議に来ている場合じゃないでしょう。自宅で休んでいたら」と、まわりに心配されました。でも、家にひとりでいるほうがしんどくて、外出するほうが気持ちは楽に感じたんです。
── 周囲の方々も、岡田さんをずいぶん心配していたでしょう。
岡田さん:どう接してよいかと周囲もとまどっていましたし、腫れ物に触るような扱いでしたね。「わかるよ」「時間が解決してくれるよ」「元気を出して」など、みなさんそれぞれ考えて声をかけてくださるんですが、どの言葉にも胸をえぐられ、傷つきました。
いちばんありがたかったのは、ある友人が家に来て2時間、泣きじゃくる私の背中を無言でさすり続けてくれたことです。彼女は私が落ち着いたころに「また来るね」とひと言だけ言って帰っていきました。いろんな人が気にかけてくれましたが、「また来るね」がいちばん私の心に寄り添ってくれた言葉です。
── 当時の岡田さんにとっては、ただ一緒にいることが最大のケアだったのですね。振り返って、夫の2度の死別経験は、ご自身にとってどのような意味があったと考えますか?
岡田さん:最初は「どうして私だけが、こんな短期間に2回も死別を経験するの」と、自分の境遇に納得できない気持ちが、たしかにありました。時間が経ち、自分の運命をなげくのをやめて、残された自分がしっかり生きなければと思えるようになりました。いま、この時間をムダにしないように精一杯生きるのが、亡くなった夫たちへの供養になるはずです。私も天寿をまっとうしてあの世に行ったら、ふたりの夫に「私、頑張ったよ。ほめて」と、言えるようしっかり生きたいですね。
私は特定の宗教を信じているわけではありませんが、いまでは夫たちとの死別経験は神さまの思し召しだったのかもしれない、と考えています。こうして徐々に、私に与えられた経験の意味を考え、誰かのためになることをしたいと、自分にできることを探しはじめました。