大河ドラマ『平清盛』の題字などで注目を集めたダウン症の書家・金澤翔子さん。世界各国でも個展を開く書家でしたが、現在は地元のカフェでウェイトレスをしています。そこには82歳になる母・泰子さんのある思いがありました。(全3回中の3回)
終活を考え始めたころから…

── 翔子さんは現在、書家としての活動を最小限に絞り、カフェでウェイトレスとして働き始めたそうですね。大転身にはどのような背景があったのでしょう?
金澤さん:20歳で個展を開いて以来、娘の翔子は「書家・金澤翔子」としてニューヨークやチェコなどの海外を含めて500回以上の個展を開催し、さまざまな舞台に立ってきました。2023年には宮澤正明監督が私と翔子の歩みを映像化したドキュメンタリー映画『共に生きる 書家金澤翔子』が全国の映画館で上映されるなど、絶望しながら幼い翔子を育てていたころには想像もできなかった人生が私たち母娘を待っていました。翔子の書を見て涙してくださった方、「同じ障害を持つ子の親として希望が持てました」と感想を伝えてくださった方、大勢との出会いに心から感謝しています。
ただ、私が80歳を迎えて終活を考え始めたころから、このままずっと翔子が書家として仕事を続けるのは難しいだろうという予感がありました。席上揮毫(せきじょうきごう)のような皆の前で大きな紙に大きな筆で書く行為は、書く翔子と紙を調整するなどアシストする私との呼吸があってこそ成り立つものです。私以外の誰かが翔子の呼吸を読み、それに動きを合わせることはおそらく無理でしょう。
翔子は知的障害があっても感受性が強く、人の気持ちにとても敏感です。20歳のときには「30歳になったらひとり暮らしをします」と皆の前で宣言し、実際に実家の近くのマンションで念願のひとり暮らしをスタートさせるたくましさもあります。「ダウン症の人がひとり暮らしは無理」という声は当然ありましたが、近所の人たちに支えられながら、彼女は立派に自立しました。スーパーでの買い出しも、ルールを守ってのゴミ出しも、全部自分でできるようになったんです。
10歳で学校を転校し普通学級から特別支援学級へ、20歳で書家としてデビュー、30歳で独立…と翔子の人生は不思議と10年ごとに大きな転機を迎えています。それならば、40歳を迎えるこのタイミングで、翔子が本当にやりたいことをやってほしいと思いました。