淡路島で「死ななきゃOK」が教育方針のワイルドな家庭で、たくましく育ったフリーアナウンサーの奥井奈々さん。過酷な労働環境の企業での勤務や日雇いバイト生活を乗り越え、年収1000万円のNewsPicks初代キャスターの座をつかみとるまでの道のりを聞きました。(全3回中の1回)

淡路島で狩猟家の父のもとジビエで育てられ

── 年収1000万円のNewsPicks初代キャスターの座をつかみとり、今はフリーアナウンサーとして活躍されている奥井さん。18歳まで淡路島で育ったそうですね。どんな幼少期だったんですか?

 

奥井さん:親がちょっと変わった教育方針で、「幼少期はあまり家を快適にしすぎるのはよくない」と思っていたようです。それで家のなかにはゲームやエアコンなど、便利なものがなにもない生活でした。田舎なので、近所にゲームセンターとかもなくて。ひとりでただ好きなことをして過ごすという生活でした。

 

奥井奈々
 気さくで飾らない語り口が人気の奥井奈々さん

── 3歳ぐらいまでは洋服を着る習慣もあまりなかったとか。

 

奥井さん:そうですね。保育園に入るまでは服を着ないで過ごしていて、全然着替えたりすることもなかったです。着るとしても古着で。親は「死ななきゃOK」みたいな感じの教育方針でした。父いわく、ストレスなく育児をしていたそうです。

 

── ワイルドな教育方針ですね…!お父さまは狩猟家だったそうですね。

 

奥井さん:そうです。元々はエンジニアでしたが、脱サラして副業だった狩猟を本業にしたんです。狩猟はすごくお金が稼げるわけではないんですが、獲った肉をもらえるので、食費は浮く、みたいな。なので私、ジビエ育ちなんです(笑)。

 

── そうなんですね…!当時はそういったご自身の家庭環境についてどう思っていたんですか?

 

奥井さん:嫌だな、とはまったく思ってなかったんです。本が好きで、ずっと図書館にいました。タダだし、日中はずっと開いているので、親が私をそこに放り込んで、1日中過ごしていました。手塚治虫の漫画が好きで。あとは『世界の生き物』『宇宙の惑星』とか図鑑を読んでいましたね。図書館は、淡路島という狭い環境にいながら、世界を広げることができるので、とても好きな場所でした。