効率的なオムツ替えを編み出し「ズボラ介護」に目覚めた

── 介護に向き合うマインドが変わったんですね。

 

春さん:はい、「ズボラ介護」に目覚めました(笑)。オムツ替えも、それまでまじめに3時間おきにやってきたのですが、せめて夜中の0時から6時まではぐっすり眠らないと体が持たないと思い、オムツパットを使うことにしました。最初はオムツパットを1枚だけはさんでみたのですが、それだけでは朝までもたず、オムツの脇からおしっこがもれてしまっていました。なので、両脇にもパットを置き、三枚並べてはさんだところ、朝までもれずに済みました。

 

── そのアイデアはどこから?

 

春さん:自分でいろいろと試して見つけた方法です。朝にはオムツパッドがかなり重くなっていますけど、夜中だけはそうさせてもらいました。昼間は、やはり本人が起きているので気持ち悪いだろうから、きちんと3時間おきにオムツ替えしましたけどね。父は「やすこのオムツ替えは最後にきちんと濡れタオルですみずみまで拭くから、ていねいで気持ちええわ」と言ってくれたので、その言葉がうれしくて。ケアマネさんのおかげで、できる部分は心を込めながら、手を抜けるところは抜く、という介護ができるようになったと思います。

 

── 元気に介護を続けるためには必要なことですよね。

 

春さん:もちろん家族の支えもありました。子どもたちは小さいころからおじいちゃんおばあちゃんにものすごくかわいがってもらったので、祖父母に優しかったです。学校から帰ってきたら祖父母の部屋に行き、娘は何時間も話し相手になってくれたり、息子はウクレレ片手に歌ってくれたりしてコミュニケーションをとってくれました。最終的に父は体調を崩して半年ほど入院し、2013年、退院を待つなかで亡くなりました。

 

── お母様には具体的にどんな介護をされていたのですか?

 

春さん:母は肺気腫で夜中も酸素マスクが欠かせなかったのですが、寝ている間の酸素マスクは苦しくなることがあるようで、はずしてしまうことがありました。そうするとエラーアラームが鳴るので、その音が聞こえたら酸素マスクをつけに行くという作業が必要でした。両親の寝室が1階で自分の寝室が3階だったのですが、アラーム音が聞こえにくいので2階の階段近くに布団を敷いて寝ていました。

 

── いつアラーム音で起こされるかわからない生活だったのですね。

 

春さん:そうなんです。だからといって、母の隣に布団を敷いて寝る気にはなれませんでした。そこまですると息が詰まってしまうので。母は結局、最後は肺の状態が悪化して入院しました。私は家に連れて帰りたいと言ったのですが、病院からは「自宅で看病するのは、とてもじゃないけど無理」と言われ、入所できる介護施設を探している間に容体が急変して亡くなりました。父が亡くなってから3年後のことです。