「仕事はしたいのに…」電話取りにも苦戦する夫
── 会社ではどんな話し合いをしましたか?
梅野さん:上司、人事、労務の方々と話し合いを行いました。「じつは会社側も彼の様子はおかしいと思っていたのです。ただ、こちらからご家族に伝えるのは難しくて」と、言われたんです。そこで初めて、やはり夫は仕事ができていなかったことがわかりました。上司は、夫が取り組む仕事を一つひとつをA4の紙に大きく書き、チェックリストを作ってくれていたとのことで…。ひとつの仕事が終わったら上司に報告し、成果を見せるようにと、かなり細かく指導してくれていたそうです。
それでも、彼は仕事の段取りや意図を理解できずにいたらしくて。上司は「こんなに仕事を覚えてもらえないのは、自分の指導力がないせいでは?自分の言い方はコンプライアンス違反になるのでは?」と、うつ病のような状態になるほど悩んだと言っていました。夫自身も「自分のどこが悪いのか」「どうしたらいいのか」わからなかったのでしょう。だからこそ、私が「高次脳機能障害」と伝えたことで、すぐに「障害がある」と、会社に伝えてしまったのでしょう。

会社側は「病気になって障害を負う可能性は誰にでもあります。会社には障害者雇用枠があるのですが、彼のように途中で障害を持った方は初めてかもしれません。彼にできる仕事を探しましょう」と、言ってくれました。もともと私は夫と同じ職場で働いていました。当時、私はすでに退職していたのですが、知っている方たちばかりで、申し訳なさと会社の寛大な姿勢には感謝しかありませんでした。
── その後、高次脳機能障害の検査を受けたのですか?
梅野さん:はい、検査を受けて、高次脳機能障害の症状がガッツリあることがわかりました。これまで脳腫瘍については、主治医が夫の様子を見ていたのに、高次脳機能障害の可能性について触れたことは一度もありませんでした。障害があることがわかったとき、なぜ15年間も放置されてしまったのか、と後悔と怒りがわいていました。どうして病院は後遺症について教えてくれなかったんだろう?私があんなに悩んだ時間は何だったのだろう?って…。
もしかしたら、当時、医師は複雑な脳腫瘍を治療することで精いっぱいで、後遺症は致し方がないものと思っていたのかもしれません。「家での様子から、彼が職場で仕事ができていない気がして」と、何度か医師に相談したことはありましたが、「脳は学びますから。日常生活をしっかり送り、そこから学んでいくことが何よりのリハビリです」と、言われたことをずっと信じていました。たしかに、日常生活以上のリハビリはありません。
でも、判定を受けて彼はワーキングメモリー(情報を一時的に記憶して処理する脳の機能のこと)が小さく、ちょっとしたことを記憶しておくことや、段取りを予想して行動を行うこと(作動記憶)が苦手だったり、注意障害(多くのものから正しいものを選びにくい)があることもわかりました。だからこそ、自覚もあまりないままになっていました。
「夫は悪くなかったんだな、夫は高次脳機能障害によって、たくさんの困りごとに直面していたんだな」とも思いました。これまで当たり前にできていたことができなくなり、本人もおかしいと感じていたはずです。障害に振り回されているのは彼も私も一緒でした。「夫は障害と戦っている。私と同じだ」と思うようになり、彼は「夫」ではなく、一緒に障害と戦う「戦友」になっていったんです。
── 高次脳機能障害とわかってから、会社ではどんな仕事をしていましたか?
梅野さん:会社は本当に協力的でした。高次脳機能障害のリハビリに通わせてくれて、評価結果を聞く際は会社から5人ほど、リハビリセンターまで足を運んでくれました。障害について学ぼうと、社内勉強会も開いてくれました。夫がどんな仕事ができるかを探し、支援をするジョブコーチまでつけてくれたんです。とても心強かったです。
でも、現実は厳しくて…。夫ができそうな仕事を割り振ってくれましたが、なかなかうまくいきませんでした。たとえば、電話取りは話を聞きながらメモを取り、どんな要件なのかを聞く質問を考え、重要度は高いのかなど、誰にどう伝えるのかを瞬時に判断しないといけません。障害によってワーキングメモリーが低下していた夫には平行して複数のことを同時進行させるのは難しいことでした。
パソコンのフォルダ整理はどれが重要かわからず、大事な書類のフォルダを削除してしまったこともあったそうです。会議の司会、議事録を取ることも内容を理解し、まとめて言語化する力が必要です。いっけん簡単そうに見える作業でも、脳のさまざまな機能を使っています。じつはとても複雑な作業なんです。風邪ひとつひかない健康体だったし、彼はまだ仕事ができると思っていました。会社もまた、働けるなら夫に働いてほしいと願っていたんです。それなのに、彼に安定して任せられる業務は見つかりませんでした。仕事内容とうまくマッチングできず、夫は「働けない人」になってしまったのです。