梅野はるかさん(仮名・53歳)の夫は、脳腫瘍を患って15年後の2018年、脳の機能の一部に障害が起きる「高次脳機能障害」と診断されました。しかし、それまでなぜ、仕事での単純ミスが増え、感情も不安定になったのかわからなかったそうです。(全2回中の2回)

生活の中で感じたわずかな異変がまさかの事態へ

──高次脳機能障害とは、脳卒中や脳腫瘍などの病気、交通事故などで脳の一部が損傷し、思考・記憶・行為・言語・注意などの脳機能の一部に障害が生じた状態とのこと。梅野さんのご主人は、2003年に脳腫瘍の手術を受け、2018年に高次脳機能障害と判明しました。手術後から、明確に診断されるまで15年もかかったそうですが、誰も気づかなかったのでしょうか?

 

梅野さん:一緒に暮らしている私は「おかしいな?」と思うことは多かったのですが、すべてがおかしかったわけではなくて…。見た目はふだん通りだったこともあり、周囲の人にはわからなかったようです。私が違和感を抱く部分も、生活をともにするからこそ気づくような細かなところでした。

 

たとえば、以前はきちんと話し合いができる人だったのに、手術後の彼は「俺はこれでいいんだ」と人の意見を聞かず、かたくなに自分のやり方にこだわるような頑固な面が見えました。方向感覚がいい人だったのに、道が覚えられない。記憶力も頭の回転も早かったのに、漢字や文章が書けなくなったことも気になりました。会話のやりとりでも思いやりが感じられず、「私、40度近い熱を出した」とメールしても、「了解!」のひとことだけで、「大丈夫?」という気づかいの言葉さえなくて。

 

大きなスーパーでは必ずフラッと単独行動をしてどこかに行ってしまう、待ち合わせ場所が覚えられない、頼んだスーパーの買い物を間違えるなど、小さな困りごとがたくさん出てきました。

MRI画像
何十回も受けたMRIの画像

振り返れば、2003年に脳腫瘍手術を受けた後から、ちょっとしたことで怒り出すことや、会話が成立しないことがありました。術後から症状が出ていた気がします。でも、当時は高次脳機能障害を知っている人が少なくて、医師も知識がなかったようです。誰にも理解してもらえず、「夫に求めすぎる私が悪いのかな?」と、自分を責めてばかりで孤独を感じていました。離婚も考えていたものの、大病をした夫を見捨てるようで決断できずにいたんです。

 

── 高次脳機能障害だと気づいたきっかけはなんでしたか?

 

梅野さん:2018年の小室哲哉さんの会見です。小室さんの元妻・KEIKOさんはくも膜下出血を患い、会見時には高次脳機能障害と診断を受けていたそうです。 当時の様子について「いまは小学4年生ぐらいの漢字のドリルを楽しんでやったり。すべてがそういうレベルというわけではないのですが、 大人の女性に対してのコミュニケーション、会話のやりとりができなくなって」という説明をされていました。それを聞いて、夫も同じ症状がある、高次脳機能障害かもしれないと思ったんです。

 

地元の自治体に高次脳機能障害相談室があり、夫の症状を説明すると、すぐに「ご主人も可能性はありますね。検査をしてみませんか?」と言われました。それまで夫にずっと違和感があったものの、誰にもわかってもらえなかったのですが、ようやく理解してくれる人が現れたんです。そして、高次脳機能障害は「気づきの障害」と言われるほど、本人が自覚することが難しい障害であることも学びました。

 

「私が悪いわけじゃなかった、やっとわかってくれる人がいた」と、思わず泣いてしまいました。「離婚を考えている」と伝えると「つらかったですね。私たちがフォローしますから、離婚してもいいんですよ」と言われ、ホッとすると同時に、「夫を見捨てるわけにはいかない」と、そこで腹がくくれたんです。

 

帰宅してすぐ、夫に「あなたは高次脳機能障害かもしれない」と伝えました。夫は「ふーん?」という感じでしたが、なんと翌日、夫の会社から私宛に電話が来たんです。「梅野さんからご自身が高次脳機能障害だと聞きました。状況を伺いたいので、会社にお越しいただけますか?」とのことでした。夫は私の話を聞き、すぐに会社に報告してしまったんです。まだ私も状況を理解しきれていないのに…。会社からどんなことを言われるかわからなくて、警戒しました。「障害を負っていることを理由に、退職勧告されるかもしれない…」とまで、考えました。