「インフルエンザで今病院」と伝えるも謎の返信が

── 西城秀樹さんとの違いで気になったのはどんな部分でしたか?

 

梅野さん:会見で西城さんは、周囲や奥様への感謝を泣きながら伝えていました。ところが、夫からは感謝の言葉などはいっさいありませんでした。医師や看護師が尽力してくれたことや、私や両親、友人たちが心配していたことに触れることはまったくなくて…。以前の夫であれば考えられないことでした。頭の手術の様子は本人には記憶に残りませんし、傷跡も見えません。どれだけ大変なことになっていたのか、自覚がないのも、致し方ないのかなと思っていました。

 

気になって医師にも相談しましたが、医師は手術する前の夫の性格や言動を知りません。そのため、私が何に違和感を抱いているのかがわからなかったようです。「あれだけの手術をしたのですから。少しずつ改善しますよ。日常生活がいちばんのリハビリになります」と言われ、納得するしかありませんでした。当時はまだ高次脳機能障害について一般的に知られていなかったんです。医師も詳細な認識がなかったのかもしれません。

 

夫の様子に違和感はあったものの、8か月間入院して治療を受けた後は、無事に退院することができました。退院時の夫は身体的な後遺症はなく、自分で荷物を持ち、歩いて帰宅したんです。家族のこともきちんと覚えていました。無事に回復してくれて、本当に感謝しました。ただ、退院時にも「さ、帰るか」のひと言だけで、まるで自力で治ったと思っているかのようで、周囲の人のことが目に入っていない感じがしました。案の定、退院後、一緒に暮らしていると「これはおかしい」と、入院中から感じていた部分が増えるいっぽうでした。

 

2022年にはたくさんの人たちの協力を得て奄美大島へ

── 退院後、どんな部分に違和感を抱きましたか?

 

梅野さん:見た目はまったく変わらず、手術前と同じでした。ところが、心の通ったやり取りができないんです。「インフルエンザにかかって会社を早退。今、病院にいます」と私がメールをすると、返信は「お疲れさまです!」のひと言のみ。「息子が転んで脱臼骨折したって連絡があった!」と伝えても、「了解しました~」とだけ。「大丈夫?迎えに行こうか?」などと、心配する言葉がありません。会話のキャッチボールができず、共感や寄り添いを得られなかったんです。

 

入院中から気になっていた「怒りっぽさ」はあいかわらずで、家事をお願いすると「はいはい、やればいいんでしょ」と、吐き捨てるような答えが返ってくることも。病気になる前なら、一度もなかった夫の反応で、「えっ?私の言い方が何かおかしかった?」と、彼の気持ちがまったく理解できませんでした。

 

それ以外にも、息子が嫌いな食べ物を何度伝えても覚えてくれなかったり、育児を手伝ってくれる様子もなかったり。「私…こんな人と結婚したんだっけ?」とショックを受けていました。機械的な会話ばかりで、思いやりなど夫婦の絆は感じられません。物事の優先順位もおかしくて。私の父が病院で急死した際、夫に塾終わりの息子を連れて病院に来ることをお願いしたところ、ふたりでラーメンを食べてから病院にやってきました。「なぜ?」の言葉しか思い浮かびませんでした。

 

でも、周囲に相談しても、まったく理解してもらえないんです。私がおかしいと思う部分は、毎日、一緒に生活しているからこそ気になること。たまに会う程度だとわからないんですよ。「あなたがやりすぎるからじゃない?」「優しい人じゃない」「ウチのダンナもそうだよ。そんなものだよ」と言われることもあり、「私が悪いのかな?」と、自分を責めるときが少なくありませんでした。

 

夫との生活にだんだん疲れてしまって…。これでは「家族」ではなく、「ただの同居人」では?と、ぽっかりと心に穴が開くような虚しさを感じました。「もう離婚しかない」と、思い詰めるように。でも、脳腫瘍という大病をわずらい、再発リスクもある彼を見捨てるようで、決断できなくて…。それに時間はかかるけれど料理をしたり、息子とキャッチボールをして遊んでくれたり、結婚10周年のお祝いをしてくれたり、本来の優しさがかいま見えるときもあって。

 

「彼を見捨てることはできない。でも、私もつらい…」と葛藤し、苦しかったです。私が耐えればいいと、なかばあきらめの気持ちでした。そんなとき、夫の変化は「高次脳機能障害によるものかもしれない」と、気づくきっかけがあったんです。