世界一周を経験して道が開けた

── ずっと行きたかった「世界一周」には2019年に出発されました。なぜこのタイミングだったのでしょうか?
鈴木さん:主治医に言われた通り、乳がんになって10年経ったら世界一周をしようという気持ちはずっとありました。夫にもその夢は伝えていたのですが、10年を迎える少し前に夫から「一緒に世界一周に行こう。そのタイミングで仕事を辞める覚悟はできている」と言われたんです。夫からそのような提案をしてくれるとは思いもしなかったのでうれしかった反面、彼のキャリアが中断してしまうことに申し訳ない気持ちもありました。
でも、夫は「美穂と出会って、人生はいつ終わるかわからないということを教えてもらい、大切な人と悔いのない人生を歩みたい」と言ってくれたんです。私も13年間勤めた日本テレビを辞めることに勇気はいりましたが、記者やキャスターとしてはできないことに挑戦したいと感じていた時期でした。
社会を「伝える側」から、「創る側」になりたい。がんやさまざまな困難に直面している人のために、今の立場ではなくできることがあるはず。これまでの経験をフル活用しながら世界を見ることでその道がもっと開けるはずだと。それで、会社を退社して1年くらいの予定で、夫と世界一周に行くことに決めました。
── 実際に世界を見てどのように感じましたか?
鈴木さん:世界には本当にいろいろな人たちがいます。海外には家も食べ物もなく、なにも手に入れることができず、日々生きていくだけで精一杯という貧しい国もありました。日本がいかに恵まれているか痛感し、地球上には恵まれない環境でも一生懸命生きている人がいるという現実は、しんどいときに私を奮い立たせる糧になっています。
また、私が大学生のときに旅したインドで出会った青年がいました。彼は、「まだ学校がないこの土地にいつか学校を建てたい」と夢を語っていたのですが、世界一周中にインドで再会したところ、十数年でさまざまな人に協力を呼びかけ、本当に学校を建てて理事長になっていたんです。なにも持っていない状態からでも、人はがんばればどんなことでもできるということを教えてもらいました。世界を見ることで視野が広がり、日本に戻ったらやってみたいことが2人で次々と思い浮かぶような日々でしたね。

ただ、2020年にコロナ禍になってしまい、世界一周を完結できず帰国することになりました。その後、2021年に娘が生まれて、残っていたオセアニア、北米、ハワイは娘と一緒に行って達成することができました。私はこの世界一周で自分の旅欲はかなり満たされました。
── お子さんが生まれて、お仕事に対する価値観は変わりましたか?
鈴木さん:乳がんは必ずしも遺伝性ではありませんが、娘も乳がんになる可能性があるかもしれないと思うと心配です。がんだけに限らず娘が大人になったときに、どんなことがあってもしなやかに生きていける優しい社会を残したいと思うようになりました。
夫との世界一周は視察旅の一面もあり、世界にはがんだけでなくさまざまなことで苦しんでいる人がたくさんいます。マギーズ東京は私ががんになってつらかった経験を、その後にがんになる方のために活かしたいと奔走しながら設立したセンターですが、それだけでなくどんなことがあっても幸せを感じられる優しい社会をつくっていくために、私にできることを続けていきたいです。
取材・文/酒井明子 写真提供/鈴木美穂