「試合の結果が悪くなるたびに振られて」
── おつき合いを始めて、交際は順調でしたか。
織田さん:交際期間は5年あったんですけど、何度も別れて、またつき合ってというのを繰り返していました。彼のスケートの結果と恋愛関係が連動していたんです。彼は結果が悪いと「茉由に迷惑かけたらあかん」っていう思考になってしまうらしくて。結果が悪くなるたびに振られていました(笑)。2005年12月の全日本選手権では、採点ミスで順位が入れ替わり、1位から2位になったことがありました。1枠しかない、翌年のトリノオリンピックの出場枠をめぐる大会だったので、結果にめちゃくちゃへこんでいて、「もう自分はダメだ」と。

ちょうどクリスマスの時期だったのでそのあと直接会ったんです。でもプレゼントを渡されただけですぐ帰って、年末も連絡はありません。そしたら年明けに「別れてほしい」というメールが来ました。元旦の早朝から近くの公園で何時間も話をしました。シーズンに入ってからも、成績が落ちると別れたいモードになるという感じが3〜4年続きました。でもあとから聞いた話では、「結婚したい人だから迷惑をかけたくない。自分がこうやって浮き沈みがあっても、変わらずいてくれるという信頼もできた」と言っていました。
── 交際期間中の数年で信頼関係が生まれたんですね。
織田さん:おつき合いを始めた5年目は安定していて、「そろそろ結婚して一緒に暮らしたいね」という話もしていました。お互いの両親にも紹介していましたが、織田さんの家族は「まだ学生だし、結婚って何言ってんねん」という感じでした。私は専門学校を卒業して働いて2年目でしたが、夫はまだ学生だったので。うちはその後、授かり婚になるのですが、妊娠がわかって「これで結婚できる!」と子どもを授かったことすごく喜んだのを覚えています。若かったですね(笑)。そこからはお互いの両親からもおめでとうと祝福してもらって、トントン拍子で結婚しました。
── 当時、世間の風当たりは強かったそうですね。
織田さん:できちゃった婚ということが全面的に取り挙げられました。タイミングもバンクーバーオリンピックのあとで。オリンピックでスケート靴の紐が切れてしまい、演技が中断するというアクシデントがあったあとだったので、世間からも「何してんねん」というような言葉が多かったです。今でこそ、授かり婚という言葉でお祝いされる風潮になりましたが、当時彼は学生で「いつ別れるか」なんてことも書かれて。私たちとしてはしっかり5年つき合ってきたということもあって結婚したのですが、当時はつらかったです。
直接的なプロポーズの言葉はなかったのですが、「誰になんと言われても、100年後も愛してるよ」と言われたのが、私としてはプロポーズだったのかなと思って受け止めています。4人の子どもを授かって、結婚年数を重ねるごとに世間の風当たりがどんどん優しく変わってきたなと実感しているところです。
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現在4人のお子さんを育てる織田さん夫婦ですが、夫の信成さんは子育てでも「絶対にいちばん」というアスリート魂を見せるそう。「それ頑張らな、いつ頑張るんだ」と、運動会や卒業式は朝5時から会場入りして並んでくれるおかげで、茉由さんはいい場所で子どもの晴れ姿を見れるので、助かっているそうです。
取材・文/内橋明日香 写真提供/織田茉由