「後遺症」への対応の遅れと診療科の「隙間」に落ちる現実

── 極めて珍しい脳腫瘍だと告げられたときはどんな気持ちを抱かれましたか?

 

平井さん:それはもう絶望ですよ。率直に「まだ30代なのに」と思いました。ただ、特に涙は出ませんでしたから、一般的な患者さんよりだいぶ淡々としていたとは思います。それでも、治療がすごく長くなるなとわかったので「あぁ、仕事どうしよう…」と結構、冷静に日常のことを考えて絶望していました。

 

── 実際に仕事に復帰するまでにどのくらい時間がかかりましたか?

 

平井さん:手術後、1度は2か月で復帰したんです。実は当初、脳腫瘍だということを職場に隠しながら、病棟からリモートで仕事をしていました。30~40代の働き盛りの人が、自分の病状について職場にどこまで言うかというのは、若年層の患者会でもよく話題になるんですよね。たとえば「ステージ3のがんです」とまで言うのか、それとももう少しオブラートに包んで「一身上の都合で数か月休みます」みたいな話をするのか。結構、難しい話なんです。結局、私は後者を選びました。そんな感じでうまい具合にぼかしながら休んでいたのですが、手術の後遺症がすごく出始めてしまって再度休むことになり、最終的には復帰まで1年ほどかかりました。

 

湖に囲まれた街に住んでいて、ヨットは格安で借りられるそう

── 後遺症は具体的にどんな症状だったのでしょう?

 

平井さん:いろいろありましたが、特につらかったことのひとつが、これまで経験したことのないような疲れやすさでした。たとえば、スマートフォンの画面を見るだけで疲れてしまい、次をスクロールできないんです。「これをスクロールしなくてはいけないのなら、もう人生が続かなくてもいい」と思うほどでした。易疲労性(いひろうせい)と呼ばれるもので、医師としてもちろん、そうした後遺症があることは知っていたんです。でも体力には自信があったので「それくらい大丈夫だろう」と思っていました。ところが、感じた疲労感はそういう次元ではまったくありません。肉体的な疲労と精神的な疲労が両方いっぺんにマックスに来るみたいな感じです。

 

もうひとつは、感情のコントロールが効かなくなったことです。「感情失禁」と呼ばれるものなんですが、普段だったら感情が0.1ぐらいしか動かないものに100ぐらい動いてしまう。たとえばクライアントさんと話をしていて「ちょっとここ直しておいていただけますか?」と言われたとします。普段だったら「あ、はいはい、直しておきます」みたいに返せるのに、自分を責めてしまう気持ちが手術前の何十倍にも働いて、オンラインミーティングのカメラが切れた瞬間から大号泣してしまうんです。

 

── 実際にご自身が患者の立場になったからこそ、わかったこともあったのではないでしょうか?

 

平井さん:「現状の医療では、後遺症を扱う仕組みというのが、こんなにも不十分だったんだ」というのは、医療者側から患者側になって得られた大きな発見でしたね。

 

── 後遺症を扱う仕組みがうまく整備されていないということですか?

 

平井さん:そうですね。病院で後遺症について何回か相談したんですが、「手術は成功だったのだから、それを僕に言われてもねー。ある程度は我慢しないと」みたいな感じなんです。これは責任範疇の問題なんですが、たとえば脳腫瘍だったら腫瘍を取るのは脳外科です。でも、その後に感情がぐちゃぐちゃになるような後遺症が発症しようがしなかろうが、それは脳外科の先生の範囲じゃなくなる。つまり、手術した後に誰が見るかという問題は、どの国でも結構ブラックボックスなんです。