健康に自信があって、世界を飛び回るほど仕事も順調だった ── そんな30代のある日、「世界に5人くらい」といわれる脳腫瘍を突然宣告されたら?患者になって初めて見えた医療のすき間と、誰にも頼れなかった後遺症との闘い。医師でありながら、患者になった平井麻依子さんが辿った回復への道のりとは。

健康優良、世界を飛び回るハードワーカーが突然「世界に5人くらい」の脳腫瘍患者になった日

── 平井さんは群馬大学医学部とイギリスの大学院を卒業後、WHO(世界保健機関)を経て、医師としての専門性を活かしながらスイスのコンサルティング会社でコンサルタントとして働いているそうですね。具体的にはどのようなきっかけで、その分野を志すようになったのでしょうか?

 

平井さん:もともと患者さんを診る臨床ではなく、公衆衛生の分野に興味があったんです。いちばんのきっかけは、幼少期にHIVに関するニュースを見たことでした。お金がある人は治療薬にたどり着けるけど、お金がない人や最新医療にアクセスしにくい地域の人にはなかなか薬が届かない。そんな現実に課題意識を持ちました。その課題を解決に導くWHOやヘルスケアのコンサルティング会社で働こうと思いました。

 

現在もスイスに在住している平井さん

── コンサルティング会社でへルスケアイノベーションに携わる仕事をしていた36歳のときに、脳腫瘍が見つかります。当時は、どんな働き方をされていましたか?

 

平井さん:そのころはかなりハードな働き方をしていました。でも学生時代に水泳部だったこともあって、体力に自信があったんですよ。「徹夜も平気!」という感じで。平日は平日は特にコロナ禍になってからは在宅デスクワークが中心で、動くといえばトイレに行くか、コンビニに行くくらい。1日の歩数はだいたい3000歩ほどでした。それが週末になるとスポ根スイッチが突然入って、ジムで2時間みっちり体を動かす…そんな生活でした。

 

── 脳腫瘍の前兆のようなものはありましたか?

 

平井さん:私の脳腫瘍の場合は1日でできたものじゃなくて、だんだん大きくなっていった腫瘍がどこかの神経に触れたときに症状として出るものだったんです。実は発症する1か月くらい前に、頭痛や、モノが二重に見えるといったちょっとした異変は感じたんですが、そういうのって「まぁ、ちょっと疲れてるし」みたいに思っちゃうじゃないですか。だから正直あんまり気にしてなくて。「ちょっと目を使いすぎかな」とか「老眼かな?」みたいな、そんな感じで過ごしてましたね。

 

── 実際に明らかな異変を感じたのはどんなときだったんですか?

 

平井さん:明確に「あっ!」となったのは、出張先のイギリスで、コンサルタントとしてたくさんのお医者さんたちを前に講演をしていたときでした。

 

── お医者さんに囲まれている最中に発症するというのは、すごい状況ですね。

 

平井さん:そうなんです(笑)。猛烈に体調が悪いわけではなかったので自分でも気がつかなかったんですけど、参加者のお医者さんのひとりが「あなたの目がさっきから動いていない」と急に言い出して。鏡を見るとたしかに変だったんです。片方の黒目が上の端に行ってしまっていて、どこを見ても動いていない。それに朝から頭痛があり、ぼーっとしていました。そこで私の中で危険アラートが大音量で鳴り響きました。脳の疾患を疑い、最初は「脳梗塞とか脳出血とか、そっち系かな」と思ったんです。「さすがにこれは早く病院へ行った方がいい」と思い、救急へ向かいました。

 

── 救急車を呼んだんですか?

 

平井:救急車ではなくてタクシーで行きました。救急車が早く来るのって日本くらいなんですよ。なので、タクシーの中から病院に電話をかけながら「今から来る患者、つまり私なんですけど、脳梗塞、脳出血の疑いがあるから、すぐにCT撮って治療を始めるようにしてほしい」と伝えました。

 

── タクシーの運転手さんも驚かれたでしょうね。

 

平井さん:「俺はあんたを死なせない!」と、すごく急いでくれました。

 

── 病院では、すぐに脳腫瘍だと診断されたのでしょうか?

 

平井さん: いいえ、すぐにはわかりませんでした。最初にCTを撮ったとき、出血や脳梗塞といった異常は見つからなかったので、「今すぐ命に関わる状態ではない」と言われたんです。でも「じゃあこれは何なの?」と、かえって不安が募りました。

 

主治医も「何かはあるはずだけど、はっきりとはわからない」という状態で、そこから「この病気かもしれない」という候補が10個ほどリストアップされました。それぞれの疾患について、当てはまる所見があるかを検査でひとつずつ確認していき、なければ「これは違う」と除外していきました。この脳腫瘍は非常に珍しいタイプで、日本やアメリカの大学の先生にセカンドオピニオンを求めても、少しずつ見解が異なるほどだったんです。最終的には「おそらくこのタイプの脳腫瘍だろう」と診断されるまで3週間くらいかかりました。

 

── 最終的に、世界に5人くらいしかいないタイプの脳腫瘍だとわかったわけですね。

 

平井さん:セカンドオピニオンを取っても、最後の最後まで意見が若干わかれるくらい診断は難航しました。極めて珍しい脳腫瘍だったからだと思います。それでも最終的に、8~9割ぐらいの確率で「この脳腫瘍っぽいよね」というところに落ち着きました。