ひとり暮らしを始めた息子は「最高!」と

畠山亮夏
一人暮らしを満喫中!ヘルパーさんと自宅ご飯を楽しむ

──  障害のあるお子さんをお持ちの親御さんにとって、子どもの自立は大きなテーマだと思います。

 

畠山さん:自立を考えるとき、イメージするのは仕事と住む場所ですよね。亮夏が20歳を前に、自分から「ひとり暮らしをしたい」と言ってきたので、理由を聞いてみたんです。「20歳になったら、家を出て自立する」という目標はそもそも私が言い出したことだったので、私のためだと言われたらいややなと思って(笑)。

 

理由は3つありました。1つは、高校卒業後に通っている介護施設のスタッフが「亮夏ならできる」と言ってくれたから。2つめは、どんなものなのかやってみたいから。3つめの理由は、「結婚したいから」だそうです。

 

運動機能に障害がある亮夏は、自分では歩けないし、うまく話せません。食事も排泄も全介助が必要な亮夏がひとり暮らしをするのは無理かもしれない。でも、目指さない未来はつかめないから、いったん目指してみよう。結果的にグループホームに入ったっていいのだから、まずは難しいほうを目指してみよう、と考えました。

 

結果的には、ヘルパーさんやボランティアの方にサポートしてもらいながら、亮夏は24歳のときにひとり暮らしを始めることができました。

 

── ひとり暮らしをしたことで、亮夏さんに変化はありましたか。

 

畠山さん:「話す」ことに関しては変化がありましたね。私たちと一緒に暮らしていたときは、話さなくても目線や「あ」と言うだけで言いたいことが伝わっていましたけれど、ひとり暮らしをサポートしてくださるスタッフのなかには、専門職ではない人もいます。そのために亮夏は「こう言って伝わらないなら、言い方を変えてみよう」と伝えることを磨くようになったんです。以前は100人中1人にしか伝わらなかったのが、今は20人に伝わるくらいになりました。やりたいことがあって、そのために話す必要性にかられたからがんばれたのだと思います。 

 

ひとり暮らしは始めてもうすぐ1年になりますが、ひと言で言うと「最高!」だそうです。「どの瞬間が?」と聞くと「ほんとにひとりでいるとき」と。今までは、家族やヘルパーさん、誰かが常にそばにいる状態だったのが、今は定期的にひとりの時間がある。それが最高らしいですね。

 

── 亮夏さんは、ご自身で仕事もされているのですよね。

 

畠山さん:亮夏は、自分を「生きる教科書」にして障害者との接し方を伝える「イキプロ(生きる教科書プロジェクト)」を仕事にしています。介護大学や医療系専門学校などで講師を務めたり、一般企業で研修をしたりしています。仕事が軌道にのってきたので、私と一緒に法人を設立して、社長に就任しました。

 

畠山亮夏
看護学校での「イキプロ。」の体験型講義を行う亮夏さん

── 亮夏さんには、10歳下の妹さんがいらっしゃるそうですね。妹さんを育てるときに、心がけていらしたことはありますか。

 

畠山さん:お兄ちゃんのことを娘なりに認めて、好きでいてくれたらいいなと思っていました。娘が4年生のとき、息子と一緒に運動会を見に行ったら「お前の兄ちゃん、障害者なん?」と同級生が言ってきて。そうしたら娘が「せやねん、うちの兄ちゃん、車いす乗ってんねん。社長なんやで、めっちゃカッコよくない?」と言ったんです。ああよかった、と思いました。 

 

いっぽうで、彼女なりに苦しんでいたこともわかりました。やはり小学生のころに、「私にも障害があったらよかったと思ってた。障害があったら、もっとかまってもらえるから」と娘に言われたことがあったんです。

 

娘には娘の人生を歩んでほしいから、兄と妹の人生は切り離して考えるようにしてきましたし、毎日「愛してるよ」「大好きだよ」と伝えてきたのに、それでも寂しい思いをさせてしまっていた。「気づかなくてごめんね」と伝えて、それからは月に1回、学校を休んで私とふたりで出かける日を作りました。遊園地へ行ったり、淡路島へ行ったり、休まない月もありましたけれど、いい思い出です。

 

娘は、この春に高校受験をしました。娘の志望校は「かすりもしないからやめたほうがいい」と先生に言われていたのですが、「これから成績が上がる予定なんで」とあきらめませんでした。「自分にはできる」と信じて挑戦したことが、志望校に受かったこと以上にうれしかったですね。