生後10か月で息子の亮夏さんが重度脳性まひの診断を受けた畠山織恵さん。食事も排泄も全介助が必要ななか、20歳での自立を目標に子育てをしてきました。そして亮夏さんが24歳のときに、ついに──。(全3回中の3回)
「障害のある人って、自分のこと好きなのかな」と

── 息子の寮夏さんは脳性まひによる運動障害があり、車いすで生活されています。食事や排泄の介助が必要で、コミュニケーションをとることも難しいなかで、ひとり暮らしや講師業に挑戦されているのはすごいことだと思います。亮夏さんを育てるときに、心がけていたことはありますか。
畠山さん:とにかく亮夏には、自分のことを好きでいてほしいと思って育ててきました。亮夏が脳性まひだとわかったとき、「障害のある人って、自分のこと好きなのかな」と漠然と思ったんです。障害者としてではなくて、ひとりの人としてポジティブに生きている人って、当時の私の狭い世界では乙武洋匡さんくらいしか思いつきませんでした。自分のことを好きだと思えたら、障害のあるなしに関わらず、ひとりの人間として自分を認めることができるんじゃないか。そのために、どうすればこの子が自分を好きになれるように育てていけるかを考えました。
私は子どものころから自分のことがまったく好きではなかったので、自分がやってほしかったことをして、言ってほしかった言葉をかければ、私とは反対の人間になってくれるんじゃないかと思ったんです。
私は自分のことが好きじゃないから、自分を好きになれるように。私は挑戦することが怖くて何もできなかったから、挑戦することが楽しみになるように。私は未来に希望が見えなかったから、希望が見えるように。私自身の経験を生かして、言葉をかけるようにしました。
── 具体的にはどのような言葉をかけたのでしょうか。
畠山さん:「あなたは障害者として生きていきたいのか、畠山亮夏として生きていきたいのか」「障害のあるなしに関係なく、どんな人間になりたいのか」ということは、ずっと言い続けてきました。そして、亮夏がやりたいことを見つけて挑戦するときは、「あんたやったら、できるに決まってる」と伝えてきました。もちろん「もし亮夏に何かあったら」という不安がないわけではありません。「自分で自分のことを決めつけるんか?」という言葉は、自分に向けてもいたと思います。
亮夏とは、子どものころから「20歳になったら、家を出て自立すること」を目標にしていました。その目標から逆算して、亮夏はこれまで、小さな挑戦をいくつも積み重ねてきました。中等部まで通った支援学校を辞めて、一般の高校を受験したこともそうです。ボランティアの方とふたりでテントに泊まったこともありますし、ひとりで大阪から京都へ日帰り旅もしました。成功したこともあれば、うまくいかないこともありましたけど、失敗を失敗で終わらせるのではなくて「この経験から何を得て、次はどうすればいいか考えよう」と、次につながるような声かけをしました。