沖縄返還後、父の転勤で東京に引っ越したジョン・カビラさん。だんだんと学校生活に理不尽さを感じ、高校はアメリカンスクールに進学します。そこで見えてきた光景とは──。(全3回中の2回)
中学校で目の当たりにした沖縄への誤解
── 中学2年生で沖縄から東京に引っ越したそうですね。
カビラさん:沖縄の本土復帰を機に、テレビ局に勤めていた父が沖縄から東京に転勤になり、家族で引っ越しました。高度経済成長期で、大気汚染が深刻だというイメージが東京にはあったので、警戒心は強かったです。

羽田空港に向かう飛行機から見た海辺の砂浜がグレーで、「ここまで汚れているのか」とショックだったのを覚えています。それは単に砂の色で、誤解だったんですけどね。沖縄で生まれ育って、それまで白い砂浜しか知らなかったので衝撃でした。
── 学校生活はいかがでしたか。
カビラさん:世田谷区立の中学校のクラスメイトから、「沖縄の人って、全員英語が話せるんだよね」とか、「学校も日本と違うんでしょ」と言われたのはびっくりしました。アメリカの統治下だった沖縄に対する誤解がものすごくあるんだなと。それに、転校生として自己紹介をした際に「父がテレビ局勤務で、東京に転勤になって来ました」と言ったら、「沖縄にもテレビ局があるんだね」と社会科の先生が言っていたのもショックでした。みなさんそれぞれ、思春期に大人に幻滅する瞬間があると思うんですが、僕が大人もときにいい加減な存在なんだなと知ったのはこのタイミングでした。
── 高校は、インターナショナルスクールに進学するそうですね。
カビラさん:それほどまじめに試験勉強をしてこなかったということもあるのですが(笑)。ちょっと環境を変えたいなという思いがあって、高校は自分で希望して日本のアメリカンスクールに通いました。日本の学校は校則をはじめとしたルールがあるけど、説明責任が伴わないようなことが多いですよね。髪型や服装の決まりには、理由はないけれど従わなければならないことが多い。基本的に前例が踏襲されていて、なんだか理不尽だなと。それに母がアメリカ人で、ずっと学校の先生をしていたので、自分にとってのもうひとつの祖国、アメリカの教育はどんな感じなんだろうという興味もありました。
── ここ最近、ようやく日本の学校の校則が見直されています。
カビラさん:理不尽なものを我慢するのが大人への道だとか、みんな耐えてきたからあなたも耐えなさいという理不尽さを許容するのが日本に根強くあると思うんです。今、この年齢になると、周囲の中で僕がいちばん年上になることが多くて。知らず知らずのうちに自分もそういう理不尽さを撒き散らしていないだろうかと意識して気をつけています。