売れない焦りで人材派遣に登録し
── 経済的には、どうやってやりくりをしていたのでしょう?
松陰寺さん:ずっとバイトをしていました。居酒屋に定食屋、カレー屋と飲食店が多かったですね。バイト歴がありすぎて、自分でもよく思い出せないくらい。夕方から23時までバイトして、次のバイトは24時から朝5時までとか、掛け持ちで働くことがよくありました。芸人によってはルームシェアして家賃を折半したり、先輩にご飯に連れていってもらったりと、少ないお金でやりくりする人もいたけれど。妻とは下積み時代からずっと一緒に住んでいたので、それもあってちゃんとした暮らしがしたくて。

いちばん長かったのはカレー屋で、12年間、働いています。渋谷の東急百貨店のレストラン街にあった店だったんですが、百貨店の改装でなくなっちゃって。その時点でもう30歳を超えていたけれど、お笑いは、うんともすんとも言わずにいる状態です。
── 焦りはなかったですか?
松陰寺さん:もちろんありました。このまま芸人としてやっていけなかったらどうしようと考えて、人材派遣会社に登録しました。派遣先の仕事では、超高層ビルの窓ふきと葬儀屋がめちゃめちゃ時給がよくて、その2択で迷いました。「どっちがいいかな?」とおかんに聞いたら、「窓ふきは危ないから葬儀屋にしたら」と言われ、葬儀屋を選びました。
── 葬儀屋さんではどんな仕事をされたのでしょう。
松陰寺さん:祭壇に生花を飾ったり、お花を持ってお棺に入れたり、という仕事です。葬儀屋さんって1日、2日で辞めちゃう人がいるけれど、僕は平気でしたね。宿直の仕事もあって。ひと晩病院で待機して、お亡くなりになった方がいると、まず、霊安室までご遺体をストレッチャーに乗せて運び、そこでお葬式の段取りを組むんです。
先輩には「宿直は、基本、何もないから寝てるだけで終わるよ」と言われてたけど、初めての宿直当日、階段から落ちた人が病院に運ばれてきて、さっそく出番です。ご遺体の下に手を突っ込んで、「よいしょっ」と、ストレッチャーに移したら、頭のほうからボタボタと血がたれてきて。それは平気でしたけど、その後がつらかった。ご遺族のみなさんが悲しんでいるところに「うちでお葬式どうですか?」と、営業しなければいけません。先輩に「仕事だから行ってこい」と、背中を押されていやいや行ったけど「いまは大丈夫です」とご遺族に言われ、「わかりました」ってすぐ下がってきちゃった。営業マンとしては失格です。
── なかなかヘビーなお仕事のようです。
松陰寺さん:葬儀屋でしばらく働いたけど、覚えることが多いし、芸人と2足のワラジでやるにはムリだな、ちゃんと真面目に働いてる人にも失礼だなと思って、結局、派遣は辞めました。代わりに始めたのがお酒の配送のバイトです。2人1組で軽トラに乗ってお酒を配送して回る仕事で、僕は同い年のフリーターの男性と組んでいました。彼は僕よりお金がなかったので、「100円やるから今日運転してくれない?」と言って任せて、僕は助手席でずっとネタを考えていましたね。彼は「え、100円くれるの?いいの?」なんて、喜んでいましたけど(笑)。