「伝説を作りたい」というギャル男のシュウペイさんを口説き落とし、コンビとして芸人の道を歩み始めた松陰寺太勇さん。しかしライブでウケたのは、最初の1度だけ。そこから、未来の見えない暗黒の時代がやってきます。(全4回中の2回)
「伝説を作りたい」という相方との出会い
── 2019年の「M-1グランプリ」決戦でブレイク。ツッコみそうでツッコまない独自のポジティブ漫才で人気を集めるお笑いコンビ・ぺこぱの松陰寺太勇さん。芸人になろうと思ったきっかけは、何だったのでしょう?
松陰寺さん:もともとすごく飽きっぽくて、いろいろなことをやってみたけど、なかなか続かなかったんですよね。高校卒業後は、サウンドエンジニアを目指して音響の学校に行ったけど、なんかちょっと違うなと思って1年で辞めて。次にミュージシャンを目指してあてもなく上京したけれど、加わろうとしたバンドメンバーがみんなうますぎて早々に辞めて。
そんなときテレビをつけたら、芸人がショートコントをしていて。「これ、できるかも」と、思ったのが始まりでした。ピンで活動をしてみたものの、どうにもこうにもうまくいかない。コンビでやりたいなと思ったときに、バイト先の居酒屋に僕が見たことのない「人種」が新人で入ってきたんです。それが、今の相方・シュウペイでした。

── 運命の出会いですね!シュウペイさんの印象はいかがでしたか?
松陰寺さん:当時のシュウペイは茶髪のギャル男。僕は地方から出てきたので、こういう人って本当にいるんだ、と思ってびっくりしました。居酒屋で働く人ってフリーターが多くて、バンドマンや役者など、みんな何かしら目指している夢があるのに、彼に関しては違っていて。
「お前は何をやりたいんだ?」って聞いたら、「伝説を作りたい」って言うんですよ(笑)。それも大真面目に言うからすごいですよね。当時、シュウペイは横浜に住んでいたのに、渋谷の居酒屋で働いていたのは、渋谷のクラブに行くためという理由でした。バイトが終わるとクラブへ行って、翌朝家に帰って、お昼まで寝て。また、夕方からバイトして…という暮らしです。シュウペイの座右の銘は「いまを生きる」で、本当にただその場を楽しく生きてる感じ。この明るさ、ちょっとおもしろいなと思って、笑いのセンスがどうとかはいっさい考えずに誘ったのが最初でした。
── シュウペイさんの反応はいかがでしたか?
松陰寺さん:シュウペイはお笑いには興味がなくて。半年くらい、口説き続けたけれど、なかなか「うん」と言ってくれなくて。とりあえず1度お試しで一緒にライブへ出てみない?と頼んだら「それなら」と、コンビ結成となりました。会場は中野の地下にある劇場で、マックスせいぜい80人入る程度の小さな箱です。僕がピンで出ていたときは、お客さんが10人いるかいないか。でも、シュウペイはギャルなので、めちゃめちゃ友だちが多いんですよね。
「シュウちゃんライブ出るらしいよ!」って、仲間内で広まって、シュウペイの友だちで満席になっちゃった。ほかの芸人が出てきてもまったく笑わないのに、僕らが出ると「シュウちゃんネタやってんだけど!」って、ドカンドカンとウケちゃう。だけど、最初だけでした。次のライブからは友だちは来ないし、そこからはもうずっと暗黒です。お笑いでは当然、食っていけません。