事故で娘を亡くした日系人夫婦の言葉

── 10代当時、どのようなことがあったのですか?
ですよさん。:高校卒業後にボリビアにサッカー留学をしていたのですが、20歳のときに留学先でサッカーに限界を感じ、帰国を考えた時期がありました。帰国するならばその前に圧倒的なスケールを誇ることで有名な観光地「イグアスの滝」を見て帰りたいと思い、飛行機でパラグアイに行って、そこから観光バスで滝に向かったんです。
そしたらそのバスがハイジャックにあって!銃を持った男たちが乗ってきて、僕が着ていたラコステのポロシャツの胸のワニの部分に銃を突きつけて「金を出せ」と。さらに「いい服を着ているな」とポロシャツとジーパン、持っていたCDウォークマンまで奪われました。でも中に入っていたCDは日本語だったので、「いらない」と僕の胸にパーンと投げつけられて。ちなみに、そのCDは、ZARDの『負けないで』でした(笑)。
── それはめちゃくちゃ怖かったですね…!
ですよさん。:怖いし、その時点では下着でCD1枚しか持っていないわけで。ただ、同じバスに日系人女性が乗っていて、自分の家が近くにあるからと僕を連れて行ってくれたんです。家には旦那さんがいて、娘さんと思われる若い女性の部屋もありました。ありがたいことに、お風呂や食事、新しい洋服の世話をしてくれて、その家に数日泊まることに。
一緒にカラオケをしたり畑作業をしたり、日本のニュース番組も観ましたね。本当に素敵なご夫婦で、いろいろとお世話になって、自分の気持ちが徐々に落ち着いてきて。3日目くらいに「実はイグアスの滝に行くつもりだった」と話したんです。すると、「じゃあ、連れて行ってあげるよ!」と言ってくれて。念願叶って行ったイグアスの滝は想像以上の大きさで圧倒されましたね。
日系人の方とすっかり仲よくなったので、「娘さんはいつ帰ってくるの?」と尋ねたんです。僕は部屋を見て、働きに出た娘さんがいるのかなと思っていたので。でも、実は半年くらい前にイグアスの滝に行く途中に交通事故で亡くなったということを知らされました。
── それはおつらかったでしょうね。
ですよさん。:そのときに「娘の事故を思い出してしまうつらい場所だから本当はもう二度と滝に行くつもりはなかった。けれど、急に現れて仲よくなった斉藤くん(ですよ。さんの本名)との時間が楽しく、君が行きたいと言ったことがきっかけで勇気を出して行くことができた、ありがとう」とお礼を言われたんです。そして娘さんの事故でつらかったご夫婦がこれまで経験したこと、感じたことを踏まえて、「この先にどんなことが起こるか、どんな壁にぶち当たるかわからないけれど絶対にがんばれ」と。その言葉がもう忘れられないですよね。だから、つらいことがあるとその言葉を思い出します。芸人になって壁にぶつかっても「諦めずにがんばろう」と思える自分の原動力になっているような気がします。