先天性の脳性まひで首から下が不自由なため、車椅子生活を送る寺田ユースケさん。30歳ころからASD(自閉スペクトラム症)やADHD傾向があることがわかり…。仕事と育児の両立に難しさを感じながら日々、奮闘しています。(全3回中の3回)
脳性まひ以外にもしかして発達に障害が?

── 先天性の脳性まひである寺田さんですが、大人になってからASD(自閉スペクトラム症)やADHDのグレーゾーンであることが発覚したとのこと。それはいつごろですか?
寺田さん:結婚して、30歳になったころです。当時、妻と「寺田家TV」というYouTubeチャンネルの配信をしていたのですが、僕は動画編集などにものすごくこだわりがあって、周囲のことが目に入らなくなるほど作業に没頭してしまっていたので、もしかして発達に障がいがあるんじゃないかと疑いを持ちました。2021年にASDの判定テストを受けた結果、グレーゾーンだったというか「ASDの傾向がある可能性がある」と医師に言われました。同時にADHDの傾向があることもわかって…。こだわりが強いのは脳性まひの障がいがあるためかと思っていたのが、ASDやADHDも関係していたんだと知りました。
その後、子どもが生まれたこともあり、こだわりすぎて時間がかかるYouTubeだけで家族の生活を支えるのは大変なので、会社員として都内のIT企業でも働き始めました。現在は長野県在住ですが、リモートワークや副業がOKな会社なので、会社勤めしながら新しい挑戦を続けている状況です。
── 仕事をするうえでASDやADHDであることが影響することはありますか?
寺田さん:やはり人の気持ちや空気を読むのが苦手なので、考えすぎて失敗し、落ち込んだりすることは多いです。社会人だから当たり前なのですが、メールの文章に絵文字がついておらず「。」で終わっていると「この人、怒っているのかな?」と深読みすることがありますし、ミーティングでの自分の発言が「大丈夫だったかな?」と、ずっと気になってしまうこともあります。実際、脱線した会話をふくらませてしまい本題になかなか戻れず、場を白けさせてしまったことがあるので、また同じことをしてしまわないかな、と心配な部分もあります。
会社員になる前はいろいろな仕事を自分で始めようとしましたがうまくいかず借金を抱えましたし、2023年くらいまでは何をやってもダメで、精神的にかなり落ち込みました。同時に体調が悪くなって外出できなくなり、引きこもり状態になりました。社会人としての能力は本当に低いと思います。でも、企画を考えることやインフルエンサーとして発信することは得意なので、その能力を生かしたいと思っています。いまの会社はそういった僕の特性を理解して、フォローしてくれるのでありがたいです。
妻は、僕の手足が不自由な障がいは受け入れて結婚してくれたのですが、ASDだということのほうが受け入れるのが大変だったようです。ただ、実は僕だけではなく、妻もADHDの気質があるように思います。
── そうなのですね。奥さんも病院で診断されたのですか?
寺田さん:いえ、妻の場合はネット上によくある診断テストをやってみて、当てはまる部分が多いというレベルです。僕と違うのは、妻は根がポジティブなので「私は私。これでいい」と自分を肯定できるタイプ。学生時代もいわゆる「陽キャ」で、学級委員や部活の代表などをやってきています。でも、僕はネガティブなので、すぐに後ろめたさを感じて落ち込んでしまう。大学時代に車椅子に乗ってからは行動範囲が広くなって明るくなったとは思いますが、障がいのこともあって、歩き方が変なのがずっと嫌だったし、「どうせ僕なんて」という気持ちが根底にあるんです。
そんなパワフルな妻が昨年末「MinQ(みんきゅ〜)プロジェクト」を立ち上げて、一般社団法人にしようとしています。おかげで、僕もまた自分の特性を生かした新しいことに挑戦しようという気持ちになりました。
外出が困難な人の「おでかけ」を支えたい

──「MinQ(みんきゅ〜)プロジェクト」とはどのような活動なのですか?
寺田さん:みんきゅ〜は「みんなの休日」の略。ユニバーサルツーリズムを掲げ、外出に制限を感じるすべての人が、気軽に「おでかけ」を楽しめる社会を目指して活動しています。僕は僕で、仲間と一緒に「MinQ(みんきゅ〜)プロジェクト」に関連する新しい事業を起業して、外出しにくい方の「おでかけ」を支えようとしています。
僕ら夫婦の出会いは、8年前に日本一周を達成した車椅子ヒッチハイクの旅だったので、あのころの楽しい気持ちをみんなと共有したい、外出に制限を感じる人も休日をもっとワクワク過ごしてほしい、という思いを込めて始めました。
── まさに「おでかけ」を楽しむ様子として、過去にはご自身のご両親と一緒に3世代で旅行に行く動画も上げていらっしゃいますね。
寺田さん:あれは動画の企画ではありますが、親孝行になりました。僕の両親は、障がいを抱えた僕が結婚できるとは思っていなかったでしょうし、ましてや孫ができるなんて想像していなかったと思うので。障がいの有無や年齢は関係なく、休日におでかけできる状況をつくるのは大切なことですよね。